第39回大河ドラマ「光る君へ」感想
まひろの弟、惟規が亡くなってしまった。
このドラマをみているとみんな1人1人大変である。
庶民は日々の暮らしに追われている。
貴族も家を盛り立てるプレッシャーが半端ない。
お金も権力もある帝すら空虚な気持ちを抱えている。
誰に生まれ変わったら、誰のそばにいたら1番いいかなあと気にし出したのは最近。
力の抜き加減が絶妙なまひろの弟「惟規」くらいが1番いいなと思い出した矢先のことである。
仕事ぶりは冴えないけれど、いつも朗らかに当たり前のように側にいてくれていた。
こういったありがたさは失ってはじめてわかるものなのだ。
ショックすぎて、見終わった後呆然とした。
いいこともある。
泣き崩れる母の姿を見て、頑なだった娘の賢子の心が開いた。
申し訳ないけれど、賢子は惟規のかわりにはなれない。
誰も誰かのかわりにはなれない。
だけれども側にいて(心の側でよい)まひろを支えることはできる。
当たり前だった人の不在を嘆くときは、今身の回りに当たり前にいてくれる人のありがたさを感じるチャンスでもある。
たいていのものは失ってはじめて「幸せだった」ということになるのかもしれない。
そこからいうと状態としての幸せは、なんでもないような時なのだろう。
何かを得る喜びは、ほぼ瞬間のものが多い。
それもまた大変魅力的だ。
それでも状態の幸せを感じることができる人でありたいとこのドラマをみて強く感じた。
今日はリビングに差しこむ陽射しはあたたかく、家族がそれぞれ好きなことをしてゴロゴロしていた一日だった。