茶柱が立つというくらいの期待
茎入りのお茶を飲む人は少なくなってきていると思うけど
茶柱が立って「なんかいいことあるかもしれない」という感覚は理解してもらえると思う。
「おっ。」くらいは思うのではないか?迷信だとは思うけど嬉しいなくらいの軽さで。
迷信だと切り捨てるのではなく、ちょっと嬉しくなるのがきっとミソなのだと思う。
その後、脳が勝手にちょっといいことを探しだして「茶柱がたったのはこのことかも♪」という結果に結びつける。
ちょっといいことというのは、たいてい毎日あるのだけれど、注意して探さないから気が付きにくいだけなのだ。
そういうことで、タネが分かったとしても私は茶柱をみたら喜ぶことにしたい♡
昔のドラえもんの歌に
「こんなこといいな。できたらいいなぁ。あんな夢こんな夢いっぱいあるけど」
とはじまるものがある。
これくらいの夢見かげんが、できる証拠を検討し出すのではないかと思う。
これくらいの淡い期待が、発明を産むのではないだろうか?
ステップバイステップ💖
今日もワクワクしていきましょう♪😊
小さなワクワクが集まって
大きな夢を叶えていくよ🌈
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