茶柱は待たない【Youやっちゃいなよのススメ】
職場で見つけたカッチカチのセラバンド。
【砂漠のヒビ割れ】
【カチカチ地獄】
ビヨーンと伸ばして運動で使うものなので、普通はこんな感じです。
施設では常用しているのが黄・緑のセラバンドなので、数少ない青のセラバンドは貴重だぞと片づけてそのまま忘れてしまったんでしょうね。
いつか使うからと仕舞い込んで、結局使えなくなる。あるあるです。
生活も似たようなもので、いつかやるからと思っていると、結局やらないことってありますよね。
特に高齢期は、見えなくても体の衰えや気持ちの衰えは進んでいくので、やりたいと思った時がやりどきだなぁって思います。
墓参りに行きたい。
映画に行きたい。
家族と美味しいもの食べに行きたい。
お花見がしたい。
こんなの、体が動かなくても、歩けなくても、やろうと思えばできる。ちょっと道具を工夫して、誰かの手助けがあれば、なんとかなるし、意外とできるものです。だからやりたいって思うなら、えいやってトライすればいいと思います。
思うけれど。
その言葉の裏に「前と同じ状態で」とか「歩いてやりたい」とか「手助けは心苦しいから嫌」って気持ちがあるのもわかる。
「歩けるようになったら○○します(したい)」
「自分でトイレに行けるようにならないと○○できない(したくない)」
そうかー、そうだよねー。前と同じがいいんだよね。わかる、わかるよ。今の自分ではやりたくないんだよね。そうだよね…。
だから、やりたいならやればいいじゃん!なんて簡単に言えない。
でも、そのいつかは来ない可能性だってある。むしろ、来ない可能性の方が高いこともある。だから、条件つけずにやってみましょうと背中を押すんだけど、言葉選びはとっても悩みます。
そして、言葉を選びすぎて伝わらないこともしょっちゅう(笑)
【悩むよね】
「やりたい」と「条件が整うまでやりたくない」の折り合いは本人が決めることだから、基本的にはそこに無理に介入することはしないけど、空気読まずに「やりたいって言うならやっちゃおう〜〜」ってぐいぐいと連れ出したりする人が友人や身内にいるとあれよあれよと世界が広がっていくこともあって、ああ、他人の勢いって大事だなぁ〜って思います。
茶柱立つまで待つんじゃなくて、目の前のお茶飲んじゃおっか。
今日は、そんな感じ。
またね〜