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読書メモとnoteと

読みかけでほったらかしにしていた本を読んだ。

宮本常一の「忘れられた日本人」を開く 若林恵・畑中章宏 著
という
宮本常一の「忘れられた日本人」
について書かれた本だ。

つまり間違えて買ってしまった。

私は宮本常一の本を読んだことがなかったので読もうと思って、本屋の宮本常一コーナーで1番とっつきやすそうなオシャレな表紙の本を選んでしまったのだ。

開いてみると対談形式でカタカナばっかり書いてあってまるでわからない。それでほったらかしにしていた。

しかし今朝パラパラみていると太字部分は「忘れられた日本人」の引用があることに気がついた。

そこで太字部分とその前後のわかりそうなところだけ読んだ。

付箋をめったにつけない私だが、気づきの部分がかなりある。

その中で一つだけ紹介したい。
第8章 「環世界」の中で
「邪魔をしない」というところがテーマのところに取り上げられている部分だ。


「対馬にて」のなかに、宮本常一が山で道に迷いかけて難儀した話をある老人にしたところ、面白い回答が返ってきたというくだりもあります。

私もそこで一息入れて、こういう山の中で全く見通しもきかぬ道を、歩くと言うことは容易でないと言う考えを述べると、「それには良い方法があるのだ。自分は今ここを歩いているぞと言う声を立てることだ」と一行の中の七十近い老人が言う。どういうように声を立てるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山の中にいるものならその声を聞く。同じ村のものなら、あれは誰だとわかる。相手も歌を歌う。歌の文句がわかるほどのところなら、おーいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても、誰かが歌声さえ聞いておれば、どの山中でどうなったかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどと思った。

これを読んで私もなるほどと思った。
どこがどう「なるほど」なのかはうまくはいえないのだけれど

私はこの話の山での歌を、noteではみんなが読んだり書いたりする記事のように感じたし、日常では他愛もないおしゃべりのことではないかと感じた。

邪魔はしないで歌を聴くんだなぁ。

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