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絆と縁

「絆」という言葉が案外おそろしいものであったらという記憶がある。

対して「縁」とはどのようなものか急に気になったので2つの言葉を調べてみた。

絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。
人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。

Wikipedia「絆」より

縁(えん)とは、人と人、物と物、事と事が関連づけられることを指す言葉である。この関連は、偶然や必然、見えない力によって形成されるとされ、人間関係や出来事の流れを示す際に用いられる。縁は、人の生活や社会活動において基本的な概念として位置づけられている。 縁には、血縁や婚姻によって生じる家族関係のほか、友人や知人との間に生まれる社会的なつながりも含まれる。また、人と場所や物事との間に生じる縁もあり、特定の場所に対する思い入れや、物事への関心が生まれるきっかけとなることもある。

weblio辞書「縁」より

絆よりは縁のほうが緩やかである。
血縁のように一見絆のように考えてしまいそうになるものも縁に含まれているが、人と場所や物事との間に生じる縁もあり、特定の場所に対する思い入れのようなものも含む。

「袖振り合うも他生の縁」
という言葉もある。その時、その場所で出会ってまた別れるような中にも縁は存在して、その後お互いを「絆」のように拘束することはない。

私の場合は「縁」が圧倒的に好きである。

逃げることができぬ「絆」には互いに一緒であるという安心もあるが束縛し合う窮屈さもある。

嫌が応なく一緒にいるのではなく、
なんの理由もないけど今日も一緒にいるような関係がありがたい。

そのためには、別れ行く人を行かさねばならないさみしさもあるけれど、とりのこされてみて、ちょっと考えてみてまた私も歩き始めるはずだ。同じ方向かもしれないし、全く違う自分の方向かもしれない。


役割があって、その人と繋がるのもけっこうだが、役割を終えてもふとしたときにつながりを感じる。
それが極上なように思う。

例えていうと
卒業後の先生との関係
退職後の職場仲間との会食
子育て終了後の子供とのやりとり
そんな感じである。


大学の研究室の先生の家に、何度か仲間全員宴会に呼んでもらったことがある。もう亡くなってしまったけれど、私達の大好きな先生だ。いつも美味しい弁当を先生に持たせている奥さんが、ご馳走様をこしらえて待っててくれる最高な時間だった。

その集まりは社会人になってしばらくしたころに私が大失恋したときにもあった。

近況を聞かれて私は思わず泣いてしまった。
そのあと先生が「たしか甥っ子が独身だ。」と言いはじめた。

私は私と親戚になってもいいかなと思ってくれたのは大変嬉しかったけど、どんなに好人物であってもなんか困った気分になった。

なんでかな?と考えてずっとわからなかったけど、私はもう面倒みる必要のないただの卒業生なのに、同級生みんなと一緒に先生と緩やかにつながっていることが嬉しかっだのだ。「甥の嫁」とかじゃなく、つながっていたかったんだな。

それは今日この二つの言葉を調べてわかったことだ。

ちなみに甥っ子さんはその宴会からしばらくして婚約されたようで、先生から「彼女いるってしならかったんだよう。」と電話がかかってきたときには私はもう笑ってた。

言葉って面白いなぁ!

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