ヨーガの道を塞ぐ思考習慣
ヨーガを始めてから数ヶ月経った頃、ヨーガグループレッスンの帰りに「永遠のヨギー」という映画のDVDや「あるヨギの自叙伝」(パラマンサ・ヨガナンダ氏著)を先生が貸して下さいました。
世界にヨガを広めたヨガナンダ氏の自叙伝とその本を原作とした映画で、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏もこちらの本を愛読していたそうです。
こちらの本にはヨガナンダ氏の家族や周りの人は「クリヤヨガ」を実践しているとのくだりがありました。
ヨガを始めたばかりでしたが、ヨガに心が惹かれていた私は気になって先生にクリアヨガについて尋ねると、このようなお話を頂きました。
クリアヨガのクリアは行動、動作のことを指し、クリアヨガでは自分の行動、動作をひとつひとつを見つめながら日々の暮らしを送っていきます。
家事が多いなら、背筋を真っ直ぐ伸ばし、肩甲骨から腕を動かし掃除機をかけてみる。
包丁で野菜を切るときにも真っ直ぐ立ってスッと野菜を切ってみる。
そのように自分の行動ひとつひとつを意識して観続けると何かに気がつきますから。
先生は、生徒自身が自分でやってみて気がついて答えを見つけてほしいと思われているので、それ以上のことはおっしゃいません。
どんなことに気がつくのだろう?
一体何だろう?
そう思いながら「覚醒のヨーガ」や「魂の光」をテキストとしてヨーガ・スートラを学び、日常生活で自分の言動や思考、感情を観察するようになって約2年。
意識を自分の心に向けると自分の欲求から衝動的に出てしまう言動に歯止めをかけることができたり、意識が外れてしまうと衝動的な言動がでてしまうこと。
意志や姿勢、呼吸で自分の心と体をコントロールできること。
自分の言動のほとんどは自分の欲求から始まっていることなど。
様々なことに気がつけるようになりました。
ヨーガを実践して得られた気づきは学びの道のプラスになるはずなのに、3つ目の気づきでつまづきました。
「ヨーガの目指すところは利他の心で生きて世界をよくしていくというものなのに、自分は自分本位の理由ばかりで生きている」というやらなくてよい自己否定の習慣が出てきて苦しくなってしまったのです。