カモミール という曲を公開しました。
カモミール
言い訳をしても四季は
自己満足では廻らぬ
後半だけを見てしまった映画を
初めから見ているの
クオリアを持たない出会いを
あなたでやり直している
振り返った時が時効
「どちらから」は無いので
共犯になって
今日から
誰にも秘密で生きていこう
命の終わりより
君がわたしに飽いていく方が先
なんて素晴らしいことでしょう。
幸せを願い消えていけることが
何より幸せだから
これは君のための歌じゃない
きっと全部勘違い
君のための歌じゃない
私はどこにも行けない
心なんて全部データ
そうやって呟いたきみが
わたしを 生み出して
まだ気づいてくれない
これは支配への礼賛では無い。
ー
カモミール
花言葉は余計なこと、自己犠牲
今考えました。
ー
本当の花言葉はこちら
仲直り、逆境で生まれる力、親交
2/14、3/14の誕生花だそうです。
ー
花と日付ついでに、自分の誕生日の花を調べてみた
_2月13日の誕生花は、「エーデルワイス」「ローダンセ」です。 エーデルワイスの花言葉は「大切な思い出」、ローダンセはお花が乾燥してもお花の色が褪せないかとから「変わらぬ想い」「終わりのない友情」と言う花言葉があります。 2月14日の誕生花は「カモミール」「アカシア(ミモザ)」です。
あんまりその辺で買えそうなお花というわけでもない。
ー
カモミールという歌は自己犠牲の歌なのでしょうか。
_後半から見てしまった映画を初めから見ているの。
大切な人に出会ったときのことを、私(たち)はすでに忘れてしまっていて、
それを他人でやり直そうとしているし、これからもそうするだろう。
みたいな。
誰かを出会いから変化までの道具にしているの。
ー
_これは支配への礼賛ではない。
以下、解釈
ー
言い訳をしても四季は
自己満足では廻らぬ
おそらく言い訳ばかりしている人への怒り。
歌詞というより、怒っている時はこう言う歌い方になります。
〜せぬ、みたいな古めかしい文章は特に詳しいわけではないのですが、
あえて使う時はもう正しさなんてどうでもよくて好き勝手言いたい時によく使います。
コミニュケーションが!!って言いながら怒鳴るイメージ。
ー
後半だけを見てしまった映画を
初めから見ているの
クオリアを持たない出会いを
あなたでやり直している
あなた、とは不特定多数。
きみ、は一人だけど
あなた、は一人とは限らないみたいな謎のこだわり?がある。
なので私と僕、きみとあなたが同じ歌の中に出てくる場合がありますが、無意識の人称をあえてそのままにしている感じ。
この辺が、歌を歌として完成させたいわけではなくて自分のための何かとしてまとめているだけ、というところかなあなんて。
ー
振り返った時が時効
「どちらから」は無いので
共犯になって
今日から
誰にも秘密で生きていこう
なんだろう、
意味が特になさそう。
どちら からは ないの できょう
はんに なって きょうか
らだれ にもひ みつで いきて こう
ただの韻です。
ー
命の終わりより
君がわたしに飽いていく方が先
なんて素晴らしいことでしょう。
幸せを願い消えていけることが
何より幸せだから
どんなに友達ができても大切な人ができても早くに自死を選びたい気持ちは消えないけれど、
一生一緒にいようという言葉はただの表現であり、その実3年くらいが限度
気持ちが強い人ほど強く自殺を止めるけれど
気持ちが盛り上がる人ほど早く飽きてくれるもので、
一生(3年)一緒にいることでお互い満足してサヨウナラできることは嬉しく感じます。
幸せを願えるくらい短い人生、求む
ー
これは君のための歌じゃない
きっと全部勘違い
君のための歌じゃない
私はどこにも行けない
特定の人物、きみ 登場。
サタデーナイターズすべての歌は私のために作られているので、もしこの歌をきいて「自分のための歌だ!」と思ったらそれは半分あっていて半分違うのですね
私目線では全く違う、でも誰かの解釈の上でこれは私が言いたかったことだ!と思ったらそれは間違いではないです
…というクリエイターとファンの定型文は置いておいて
これを読んでいるくらいのノーマル知人のなかに何か勘違いしそうな人がいるので、ネタ元の人にthanksを込めて歌に入れときました。
ー
心なんて全部データ
そうやって呟いたきみが
わたしを 生み出して
まだ気づいてくれない
実は前半と後半の文は特につながっていません。
ふとシリアルエクスペリメンツレインを思い出したので前半を、
後ろはしらすからアシュリカ、ユキナへ
わたしうまれとるで
と。
ー
これは支配への礼賛では無い。
一番言いたいセリフみたいになっていますね。
特にそういうわけではありません。
これを書いた心情をもう覚えていない。
まあそんな雑な解釈怪文書でした。