虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #9
この中学一年から二年のあいだが一番長く、まるで無限地獄のように感じた
人間の一生の体感時間は19歳までで半分に至ると言う話を後年知り、今では納得する。
ただここまで辛く青色吐息で呼吸しながらも、自殺だけはしようと思わなかった
「これまでずっと一つも良い事が無かったのに、俺が死ぬのはおかしい」そう思っていたからだ
ただ、頭の中で何度も嫌いなクラスメイトを残酷な方法で殺害し、憎みながらも、以前とは違う視点で物事を考えるように変わって行っていた
「俺が小学生の時にしていた事は、あいつらと同じだったんじゃないのか?」
「あのクソどもが、感情に任せるだけの人間に似た姿の生き物どもめ、いや、以前の俺もそうなのか?」
自省、久しぶりか、もしくは初めてする事だった
自分を責めて、責めて、苦しめ続けた。
そうやって自罰的にひきもって生活をしていると、全てが自分を責め立てているように感じた
テレビでやっている引きこもり増加やそれに対するコメンテーターの意見
新聞に載っている記事の、どこの老人が書いたともしれない不登校児への意見
どれもこれも「お前の事だ」と言われているようで何を見ても辛く、そして好き勝手に言いやがって、何も知らないクセに、そう感じた
ある日、なんとか這うように久しぶりに登校し、朝礼に出て体育館に集まった時
校長がこう言っていた
「えー、本校は今年もイジメは無く、不登校者もおらず…」
ああ、そうかい
俺はいないんだな?いない事にするんだな?
俺が目にしたイジメられっ子、名前も知らないがテニス部の試合で他校に行った時に、集団でイジメられて様子がおかしくなり、発作的に叫びながら鉄の柱に頭を打ち付けて自傷行為を始めたあの生徒もいないんだな?
勝手にしろ、俺をつき合せるな。
イジメの対象にすらならない本物の劣等生である自分は
気を紛らわすためにゲームばかりしていたが、さすがにそれにも飽きていた
他にすることも無いからひたすら自分と向き合う時間の中で
少しずつ自我に文化的な趣向というものが作られていった様に思う
以前は歌詞が頭に入らず、わからなかった音楽を好きになった
自分でギターを弾いたりピアノを始めたりするような元気や行動力は無かったが
夜型の生活をしている自分にとって深夜のラジオは新しい発見で溢れていた
クラシック、ジャズ、ダンスミュージック、特にロックの激しい音と声は俺の怒りを代弁してくれているようで、とても気分が高揚した
ぼんやりと深夜、テレビをつけている時の古い映画も好きだった
小説などもそこそこに読んだ、弟達が図書館で借りてきたものや買ってきたものを中心にだが、自分でも購入し読んでいた、主に悲劇を。
とりあえずネームバリューのあるシェイクスピアの4大悲劇を買ってみたり、太宰治の人間失格や、阿部公房の砂の女や、フランツ・カフカの変身などがお気に入りだった
そういった苦痛や悲哀に自分を重ねることで一種の陶酔を得ることができた
いわゆる“中二病”と言うやつだ。
ハムレットが「この世界は牢獄だ、特にデンマークは酷い牢獄だ」と言う言葉に自身の生まれ育った町を重ね
カフカの変身の主人公の虫が部屋に閉じ込められ家族からエサを与えられていることに自分を重ね
砂の女の主人公が集落に軟禁され脱出しようともがき続けた末に、いつでも出られるからもうどうでも良いと諦観する姿に自分を重ね
特に人間失格の主人公の人生にはほぼ全てを重ねた
母親や弟に常日頃から「人間じゃない」「心が無い」と言われ続けてきた自分にとってはあまりにピッタリとはまる内容だった
それが後々、自分の姿にとても良く似ていくとはこの当時は考えなかったが
そう言えば幼稚園児の頃、タバコ屋の家の同級生のおばあさん、恐らく認知症の老婆なのだが、公園で性的虐待を受けたことがあって
読書をしている時に「あれはそういう事だったのか」と思い当たった
特別に道化を演じたり女にモテたわけでは無かったが、不眠や父親や人間への恐怖や、小さな頃から感じる理由も無い巨大な苦しみにはとても共感できた。
ここからとても大事な話になるのだが、人間失格の作者の太宰治やその主人公や過去の俺自身について、いわゆる“メンヘラ”だと誰もが感じるだろうが
その正体について記しておきたい
メンヘラとは“愛着障害(アタッチメント障害)”という名前の後天的な障害で医学書にも載っている
幼少期から親や養育者の虐待やネグレクト、または多くの養育者の変更、つまり親戚をたらい回しにされたり施設に入れられた子供などがなる病だ
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