空撮:黒川流域の洪水対策を見てきた
立野ダムだけではない洪水対策
令和5年(2024年)2月4日、白川と黒川の合流点付近に建設が進められていた立野ダムが試験湛水でサーチャージ水位に到達した。
立野ダムは洪水対策目的で造られ、普段は水を貯めておかずに、洪水時にのみ水を貯めて白川下流のピーク水位低下とピークの時間的後ろ倒しを行なう。開け閉めするゲートはなく、一定量の水を流しながらそれを超える水量をカットする形式のダムで、「穴開きダム」とも呼ばれる。150年に一度の大水害にも対処できるように造られた白川の洪水対策の要だ。
完成しても普段は水のない立野ダムが満杯になって、しかも一番上のクレストから越流して水が流れるというのは、一生に一度あるかないかの珍しい光景で、地元の観光振興もあって、多くの見物客が集まってちょっとしたお祭り騒ぎとなった。かく言う私も、東京から飛行機で鹿児島空港まで飛んで(諸事情から最寄りの熊本空港ではなく鹿児島空港になった)レンタカーを借りて見に行った。
実は、熊本行きの目的はこれだけではなかった。せっかく立野ダムまで行くのなら阿蘇カルデラの中で見ておきたい場所がいくつかあった。立野ダムのサーチャージ水位はこの日だけだからじっくり見ておきたいし、天気は雨予報で気掛かりなのだが、なんとか時間を作って見に行ってきた。
そこまでして見に行きたかったのは、阿蘇カルデラ内の平野部を流れる黒川の洪水対策である。
黒川の流域には、蛇行跡の三日月湖がいくつも見られるが、それらのほとんどは捷水路を開削して人工的に流路を付け替えたものである。また、近年は遊水池の建設が進んでいて、今の河川改修事業が完了すると最終的には7つの遊水池が整う予定である。これらの黒川流域での洪水調整は、黒川の水が流れ込む立野ダムの機能を補完するもので、この機会に合わせて見に行っておきたかった。
結局、2、3か所しか回れなかったが、それでも、河川改修の思想の遷移が垣間見えるなど、収穫は大きかった。
赤水付近の捷水路
ここは河川改修で湾曲して蛇行していた部分に捷水路(ショートカット)を造って直線化した場所。捷水路の上流部に白く波立っているのは、河川長の短縮でできた落差だろう。捷水路建設に伴う河道安定の注意点として、河川土木の教科書に出てきそうな典型事例だ。
空撮に写っている高規格の道路は国道57号北側復旧ルートで、熊本地震(2016年)の震災教訓から立野を迂回するルートとして整備された。黒川の洪水浸水想定区域の洪水流下に支障しないように、土盛りではなく、12径間444mの高架橋とした(全体としては黒川渡河部分も含めて13径間、橋長527.5m)。道路供用後は黒川高架橋という名称になったが、設計・建設段階では黒川避溢橋と呼ばれていた。おそらく避溢橋が普段なじみのない言葉として言い換えられたのだろうが、避溢橋という言葉を使ってこそ黒川の洪水を考慮していることがわかるわけで、そのままの呼称の方がよかったのにと思うが。
黒川は、昭和25年(1950年)からの中小河川改修事業や昭和28年6月の白川大洪水後の治水事業として、捷水路開削による河道の直線化が進められた。
1960年代撮影の国土地理院の空中写真には改修後の様子が写っている。当時は落差は蛇行跡の下流側にあり、その後60年間で上流側に遡ったようだ。
無田遊水池
無田遊水池は、平成2年(1990年)の黒川中小河川改修事業計画によって整備が計画され、平成24年に完成している。
その上流側には、昭和30年代の河川改修による蛇行解消の捷水路も見える。
国道57号北側復旧ルートが大きくS字を描いて、無田遊水池や蛇行跡をうまく避けている様子が見える。
跡ヶ瀬遊水池(建設中)
昭和30年代の河川改修では、湾曲した蛇行部分を捷水路(ショートカット)を開削して直線化した。
令和5年(2024年)現在、黒川の更なる洪水対策が必要となり、袋状の土地を掘り下げて遊水池の新設が進められている。
2024.02.04 立野ダムは試験湛水でサーチャージ水位に到達