土木:鉄道:阪神電鉄・大石~住吉間高架橋
1929年(昭和4年)に完成した高架橋で、既に90年を超えている歴史ある土木構造物である。昭和初期の連続高架橋の技術がよくわかる。耐震補強(耐震補修)が進められている。
阪神電鉄は1905年(明治38年)に神戸(三宮駅)~大阪(出入橋駅)間を開通させているが、既にJR(当時は鉄道省)の東海道本線が開通していたため、本来の私設鉄道法では許可されず、会社側は軌道条例(後の軌道法)を根拠法として建設を進めた。軌道条例は路面電車や馬車鉄道を対象とする法律で、そのため、道路に沿った併用軌道区間が一部に残っていた。
1920年(大正9年)に阪急電鉄(当時は阪神急行電鉄)が大阪の十三~神戸(後の上筒井駅)を開通させ、さらに神戸の中心地である三宮乗り入れを推進させると、阪神間での競争が激しくなることを見越して、阪神電鉄は高架橋を建設し、併用軌道区間を解消して高速化を図ろうとした。こうして建設されたのが大石~住吉間高架橋である。阪神間で競合する3社の中では最初の高架橋建設だった。
高架橋にも種類がある。大石~住吉間高架橋は「ゲルバー式ラーメン高架橋」に区分される。3径間一体のラーメン高架橋を基準として、不等沈下対策として間にエキスパンションスパンを挟んでいる。外から観察しても、エキスパンションスパンの継ぎ目がはっきりとわかる。
桁下を覗き込んでみると、耐震補強(耐震補修)工事が行なわれ、落橋防止装置が取り付けられているのが見える。
道路を跨ぐ部分はスパンが長くなるため、別途コンクリート製の桁が架けられている。
住吉駅は1929年の大石~住吉間高架線の完成に合わせて高架化された。駅本屋を持たないスタイルが採られ、丸窓やスクラッチタイルといったモダンなデザインが特徴だ。
丸窓から優しい光が差し込んでいる階段。
住吉駅の周辺を散策していると、ちょうど補修工事をしている箇所があってエキスパンションスパン部の経年状況を見ることができた。ゲルバー式では、エキスパンションスパン部分に切れ目ができるため漏水対策が難しい。90年以上経っているため、桁受けのコンクリートも相応に劣化している。
表面のコンクリートが剥落したのか補修のために剝がしたのかはわからないが、中から錆びた鉄筋が見えている。
補修工事が完成した部分。柱状では耐震強度が不足しているのか、間を埋めて壁状の橋脚としている。
兵庫県神戸市、写真=2021.11.20