「違うこと」をしないこと #3
こじらせた私は東京に出ることになる。
ここで伝えておきたいのは、私にはHSP気質があるようだ、ということ。
さらに言うと、HSS型HSP(刺激は欲しいけれど傷つきやすい)の方だ。
こじらせた上にもれなく面倒臭さまでついてくる。
本当のところ、もともとの気質なのか、こじらせすぎた結果がこれなのかは今もわからない。
というかこれ、もっと早くに知りたかったのだが。
好奇心旺盛型HSPの私は、おしゃれに目覚めた。
だって、好奇心が旺盛なのだから。
ファッション雑誌を読み漁り(当時はCutieやZipperなんかが流行っていた)、お小遣いを貯めては東京に出かけるようになる。
高校を卒業する頃には垢抜けない私の少女っぽさがハマったのか、思いの外有名どころの美容室からカットモデルの声がかかるようになった。
雑誌に載ったりショーに出たり、ちょっとしたギャラも出たりする、ちゃんとした方のカットモデルだ。
田舎者の私にとってはキラキラと輝く夢の世界だ。
このころ私は確信する。
田舎では生きにくかったけど、東京に行けば認めてもらえるに違いない!
HSPが10上がった。
気質の問題もあってかギャルにもなれず、やりたいことも見つからない相変わらずポンコツな私は、東京でアパレルかカフェ店員になろう!などというペラペラの薄っぺらな夢を持ち高卒で働こうと思っていた。
今ならわかる。
ギャル全盛の時代にギャルにもなれない私が、東京のおしゃれなショップ店員になれるほど振り切れるわけがない。
不可能だ。
待て待て待て。
止めたのは高1の時の担任の先生だった。
当時、若干25歳くらいだった女性の英語の先生。
片桐はいりを超美人にした感じのクールビューティーな先生(主観です。はいりさん好きです。本も持ってます)。
先生運のない私は、先生という存在が苦手で距離を詰められなかったけど、彼女のことは人として好きだったし、たぶんひとはこういう人を素敵な女性と呼ぶのだろうと思っていた。
ある日彼女は急にこんな話をした。
話なんか聞いてないイキってる15,6のガキに向かってまっすぐに。
先生が学生のころ、授業休んだりバイト休んだりする理由に親戚やおじいちゃんおばあちゃんを何人も殺す人がいてね、みんなにはそうなってほしくないなって。
・・・たぶん高校生にこんな話するのってすごく勇気がいる。
当たり前の話をする勇気。
小学生ならわかるけど。
だって、彼女はとても才女なのに。
でも、危ういと感じたのだろう。
今思い出しても、うるっとくるぐらいまっすぐで一生懸命でキラキラしていた。
そのとき、この先生は信用しても大丈夫な先生だと思った。
私もその手の嘘を平気でつく人間が全く理解できないし、大嫌いだったから。
未だに死を嘘やジョークにできる人間のセンスが全くもってわからない。
そもそもの話だが。
どうやら私は高校選択を間違えたらしかった。
絶対受かるそこそこの公立って理由で決めた高校は、蓋をあけると見事にアホの集まりだった。
見事なまでに勉強=ダサいの理念が息づいていた(時代のせいかな。時代のせいにはするなって詩好きです)。
人生、楽なほうにフォーカスしてはならないとこのころ痛感する。
しかしここで頑張ると浮いてしまうので、私は息を潜めてなるべく頑張らないことを選んだ。
それがクールなハイスクールライフだ、と思っていた。
結果、大学進学という道は閉ざされるのだが(そもそも考えてもなかったね)、なぜだかその先生だけは私を見つけてくれていて、見捨てていなかった。
もったいないから、専門学校でもいいから進学するように考え直してごらん?
嬉しかった。
こんな芯の通った素敵な女性が、ポンコツで流されやすい私を気にかけ(私が高3のころはすでに違う学年の担任だった)、もったいないなんていう私にはもったいない言葉をかけてくれたのだ。
親でさえ言ってくれなかった言葉を。
やりたいこともなかった私はさっさと、東京に行けてなんとなくおしゃれそうな写真の専門学校に進路を変更した。
〜してごらん?
素敵な言い回しだと思う。
優しくて、余白があって、そうしてみようかなと思わせる魔法の言葉。
私も息子たちにつかおうと思う。
先生も、あの学校にはもったいないひとだった。
本当にそう思う。
つづく。