「違うこと」をしないこと #2
生きていく上で、あ〜これやだな〜とか、やりたくないな〜とか、行きたくないな〜とかいうことってめちゃくちゃある。
なんなら人生のほとんどはこの部類じゃないかと思う。
いやでもしかし、普通の人間であるためには乗り越えねばならない壁である。
学校行きますよね。行かないとダメみたいだし。みんな行ってるし。
でも学校ってひといっぱいいるし、だからいやなことたくさん起こる。
こどもは言っちゃいけないことを言うし、空気なんてものは見えないし読まない。
先生も授業だからやらなきゃならないのだろうけど、みんなの前で歌わせたり、ドッジボールさせたり、椅子取りゲームさせたりする。
でも、みんなは好きみたい。平気みたい。
あれ?
私だけいちいち傷つくし、私だけ死ぬほどやりたくないのかな・・・?
そんな少女時代をなんとかなんとか切り抜けて、社会性ってやつを身につけていく。
中高と学年が上がれば、いやだな〜は単純に減ったし、それに、いやでも逃げられないことがわかってくる。
もちろんまわりも大人の階段をのぼり、なんなら私を飛び越して抜き去っていく。
ポンコツな私はここでも普通であることが精一杯である。
今みたいに多様性なんて言葉はなかったし、目立たない=個性がないと、大人たちが真剣に思っていた時代だったと思う。
少なくとも私のまわりの大人たちはそのタイプが多かったと思っている。
いやなことは避けて通れない(逃げられないし誰も助けてくれないと理解する)。
個性(目立てるなにか)がないといけない。
強くならないといけない(傷つくのがしんどい)。
面白いことを言えないといけない(面白くない人ってどうやら見えないみたい)。
友達は多いほうがいい。
ギャルがモテる。
…このあたりで完全にこじらせた私は自分を社会に合わせて矯正することが正しい方法だと思い込んだ。
つづく。