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片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』の所感

永井均さんがTwitterで紹介していた、片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門 ジャック・ラカン的生き方のススメ』を一通り読み流したので、ひとまず所感を残しておく。

本書は精神分析の大家であるジャック・ラカンの理論のラフスケッチであるとともに、精神分析という営みを平易に紹介するものである。

ラカンというと現代思想に大きな影響を与えたことで知られているが、その理論は難解極まりない。私もいくつかの書籍から入門を果たそうとしたが、正直、記憶にあまり定着していない(単に頭が悪いだけなのかもしれないが)。一方、本書は抜群に平易に書かれていると思う。もちろん、正確な理解のためには難解で緻密な文献も必要ではあるが、初学者にはこうした書籍の存在は大変ありがたい。

ラカンを理解するうえでは、理論的な(抽象的な)側面は避けて通れない。だが、そもそも、その理論は何のためにあるのだろうか。その点、本書の構成は工夫されている。理論的な説明の前に、「精神分析という営みは何なのか?」が説明されているのだ。この部分だけでも十分に読む価値がある。ともすれば、「現代思想のなんか難しいやつでしょ?」と印象が先行しがちなラカンである。だが、あくまでラカンも精神分析屋なのである。精神分析とは、精神疾患やトラブルに苦しむ人を救うものである。救うためには、心の構造を理解しなければならない。そのための理論なのである。

ラカンに限らず、精神分析は、健康な人から見れば「よくできた物語」でしかないだろう。理論上、無意識などという定義上認識不可能な存在者を打ち立て、実際に起こっている現象の裏付けとする。これはよくできた宗教上の神話とあまり変わらない形而上学だろう。だが、その物語は苦しむ人を救う物語なのだ。その物語を必要とする人が実際に存在し、人生を変える。健康な人には到底想像もつかないことだろう。健康な人にはそのような物語は必要ないからだ。

精神分析の形而上性をとやかく言うことはむなしい。もちろん、この理論は心理的な実在論を目指すだろうが、構造上は形而上学であり、その体系が実在するか証明されることはない。だが、精神分析の本分は人を救うことなのだ。そして、実際に過去に救われた人がいるのだ。それだけで、この神話は信仰する価値がある。実際、科学だって構造上、常に暫定的な真理に甘んじるしかない学問であるが、有用性の観点で信仰するべき神話である。

また、精神分析を勉強すると、ドラマや漫画などの「よくある話」が、精神分析的な観点でよく理解できるようになるかもしれない。よくある話は、登場人物の「葛藤」や「欲望」が物語を駆動させているからだ。

人の心もまた、なんと不可思議なものだろうか。本書はその一端を垣間見せてくれる。

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