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分岐問題の導入 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐問題 Part1

前回の記事に引き続き、本記事では本論に入っていく。私なりに読み替え、解釈しながら読み進めていく。

自由意志をもつ私たち

私たちは日々大小さまざまな選択を繰り返している。

例えば、昼食にカツ丼を食べるか、そばを食べるか、あるいは、A社に就職するか、B社に就職するか。大小はあれど、私たちは選択を通して人生を選び取る。

個人が人生を選び取り、個人の集合としての人類が人類史を選び取り、さらには宇宙の歴史すら――個人にとっては部分的であれ――選び取っていることを意味する。

このようなことができるのは、私たち人間が「自由意志」を持つ存在者だからだ。大げさに聞こえるかもしれないが、宇宙の歴史は私たちの大小さまざまな選択により紡ぎだされている。というのも、私が今日の昼食にカツ丼を食べる世界とそばを食べる世界は別の世界であり、私の選択によって宇宙の中身が異なるものになりえるからだ。

もちろん、権力者や大発明家などの選択が世界に与える影響はより大きいが、大小を問わなければ誰もが宇宙の歴史に関与しているといえる。

以上の日常風景をふまえた上で用語を導入する。それは「可能性」である。

例えば、昼食にカツ丼を食べるか、そばを食べるか迷ったとき、そこには二つの選択肢がある。それはカツ丼を食べることも、そばを食べることも「可能」な状態である。そして、もしカツ丼を食べることを決断し、実際にカツ丼を食べたのなら、そばを食べる出来事は現実のものとはならず、カツ丼を食べるという出来事が「現実」とのものとなる。

少々回りくどく言い直すと、ある時点において、ある人間がカツ丼を食べることもそばを食べることも可能な場合、カツ丼を食べる歴史(世界)とそばを食べる歴史(世界)は両者とも可能的な歴史(世界)である。もし、カツ丼を食べることを選んだならば、カツ丼を食べる歴史(世界)が現実のものとなり、そばを食べる歴史(世界)は現実のものとはならない。

歴史の選択はしばしば樹形図で表現される。ある時点において、ある決断がたくさんの可能性の枝から一つを選び出し、選ばれた一つが現実の世界となる、というものだ。図示すると以下のようになる。

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決断Xが「カツ丼を食べることに決める」ことにあたり、歴史(世界)Aが「カツ丼を食べる歴史」に、歴史(世界)Bが「そばを食べる歴史(世界)」にあたる。この場合、歴史Aが現実となり、歴史Bは単なる可能性でしかない。

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ちなみに、もし、歴史Aを選択した後に、「そばを食べればよかった」などと後悔する場合、決断X以前の歴史を含む可能性としての歴史Bを参照しつつ後悔することになる。後悔は他の可能的な歴史を念頭に行われながら実践されるのだ。

分岐問題

だが、青山はこの図示に疑いを差し向ける。そのロジックはこうだ。

決断という出来事がいかなる種類の出来事であれ、分岐点上のすべて出来事は両方の歴史に存在している。「決断Xによって病院に行った」「決断Xなしには病院に行かなかった」――こう言うことが可能になるのは、決断Xが分岐点よりも後に、つまり歴史Aのほうだけに存在する場合だろう。ところがこの場合には、次のことを認めなくてはならない。決断Xは結局、歴史の選択に関わっていないということを。なぜなら、決断Xが実現したのは、歴史Aがすでに選ばれた後だからである。『時間と自由意志』32頁

つまり、正しい図示は以下だというのだ。

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そして、決断Xは分岐点上に存在せず、歴史の分岐に関与しないことを意味する。決断Xは歴史Aのみに存在しなければならないからだ。ではいったい何が歴史を分岐させるのだろうか?あるいは分岐すると考えることそのものに何か致命的な誤りがあるのか?

また青山によれば分岐問題は決断という自由意志による分岐に限られるものではなく、出来事一般にも適用できるという。例えば、関ヶ原の戦い、統一地方選挙、A氏の結婚、などだろうか。

さて、分岐問題に対する応答としては大別して2種類考えられる。

一つ目は、歴史を分岐させる何ものかを導入することだ。例えば、自由意志はその担い手の第一候補ということになるかもしれない。だが、分岐点には決断Xが存在してはならないという難点をクリアしなければならない。

二つ目は、そもそも歴史は分岐しないというものだ。この場合、私たちが分岐で描く世界像は幻想であり、単なる比喩やおしゃべりの域を出ないものであり、あくまで世界の構造を捉えるものではない。

青山はこうして抽出された分岐問題への応答を検討していく。次回は世界が決定論的であると考えた場合の応答を追っていく。

※参考文献『時間と自由意志 自由は存在するか」青山拓央 筑摩書房 (2016)

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