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『時間と自由意志』読解

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『時間と自由意志 自由は存在するか』青山拓央 筑摩書房(2016)読解のための一連の記事
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#自由意志

偶然の価値と自由 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第二章 自由意志 …

前回の記事に引き続き、本記事では自由意志を偶然の一種とし、偶然を自由の担い手として再評価…

偶然のありか 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第二章 自由意志 Part…

前回の記事では分岐問題への応答をまとめた。分岐問題を回避しつつ、歴史が可能性から選択され…

分岐問題への応答まとめ 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐…

分岐問題への応答まとめ本記事ではこれまで見てきていた分岐問題への応答をまとめる。 分岐問…

多世界説 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐問題 Part4

※本記事は少々錯綜しているため、面倒な方はPart5へスキップしていただきたい。 可能世界意…

確率論(偶然性) 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐問題 …

前回は決定論的な前提における分岐問題への応答を整理した。今回は確率論的な前提における応答…

自然法則の決定論 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐問題 …

前回の記事では「分岐問題」を導入した。本記事では決定論における分岐問題への応答を検討する…

分岐問題の導入 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』第一章 分岐問題 Part1

前回の記事に引き続き、本記事では本論に入っていく。私なりに読み替え、解釈しながら読み進めていく。 自由意志をもつ私たち 私たちは日々大小さまざまな選択を繰り返している。 例えば、昼食にカツ丼を食べるか、そばを食べるか、あるいは、A社に就職するか、B社に就職するか。大小はあれど、私たちは選択を通して人生を選び取る。 個人が人生を選び取り、個人の集合としての人類が人類史を選び取り、さらには宇宙の歴史すら――個人にとっては部分的であれ――選び取っていることを意味する。 この

私たちは自由なのか? 青山拓央『時間と自由意志 自由は存在するか』序文

「自由」を疑う哲学以前の記事で紹介した書籍の著者である青山拓央の『時間と自由意志 自由は…