明日死ぬかのように生きる?計画的に生きる?
初めての記事。読書が趣味の自分が、不思議に思ったことや感じたことを少し解釈しながら記事を書けたら良いな。
啓発書・ビジネス書には、「明日死ぬとしたらどう行動しますか?」など目先のことに集中するような文章を見たことは?
私も1日・1週間・1カ月後に死ぬとしたらどう自分が行動したいかを、考えながら行動をしていた。
だけど人間予定通りにいかない事の方が多い。
当日に友人・同僚に食事に誘われた場合に、「明日死ぬしたらこの人とは会っておきたいか?」という質問を自分に投げかけ、返事をしていた。
性格上、相談されやすく人の事を否定しないため、話しやすいと言われる。(少し自慢)
気づいた時には、その月の半分以上を誰かと食事をして、かなりの交際費と時間を使用していた。(誘惑に弱い)
先日、「Think right」という本を読んだ。
この本で知ったのだが、
「その日を楽しむ」というのは、「カルペディエム」という生き方だそうだ。
よく曲の題名やライブツアーなどで使われるような印象はあった。
ラテン語で「一日の花を摘め」、「一日を摘め」「今日という日の花を摘め」という意味で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と訳される。
素敵な生き方で、自分みたいとも思えた。
しかし、この本では「カルペディエム」のような生き方を否定していた。
なかなか本に否定されるのは珍しく感じた。
(大抵、抽象化すると納得するような事が多い)
理由としては、「毎日をカルペディエムのように過ごしていたら楽しい方に流されてしまい、人生の本質を見落としてしまう」と…。
その日暮らしをしていれば、将来やりたいことを遠回しにしたり、私のように浪費が増え破産に向かうとのこと。
まるで童話のアリとキリギリスのそのものだ。
最近では、財布にお金がなくてもクレジットカードや電子マネーの対応が発達した。オンラインでの会話も増え、場所や交通時間を掛けなくてもスマートフォン一つで繋がりやすい時代になった。
なんとなく誘いを断りにくい要素が増えた来たように感じる。
もちろん器用な方は、人を傷つけないような嘘も言って断れるのだろう。
少し「嫌われる勇気」を持って、取捨選択する必要があるかも。
少し戻るが、明日死ぬ確率はどれくらいなのだろうか?
日本の人口を1億として計算すると、
確率は、約76人/10,000,0000人(1億人中)程度だった。
不慮の事故に逢うなどなければ、ほとんどの確立で生きる。
やはり少し長い目で物事を見ることも大切だ。
自分の夢・目標・ビジョン、なんでも良いが、少し振り返る機会になった。
しかし他人にアドバイスするのであれば、好きな風に生きていいと思う。
この世に正解なんてものはない。
人は「自分の人生に上手に意味付けをする生き物」だと、最近いろんな書籍を見て思う。
この記事では生きていく中でこのままでいいのかな?と不安に思う方や一度立ち止まった方の思考の手助けになれたらいいと思う。
またどこかでお会いしましょう。