またやってしまった。小説は連載形式をとるべからずという教訓。
こんにちは、えこわっか店長の弥生です。
1か月ぶりですね。どうもどうも。
「週末世界のマーキュリー」第4話を配信してから、あっというまに1か月がたってしまいました。
「毎日2000文字書けば10話くらいで終わるはずだ。ってことは、10日で完結できるぞ!!」
そんな甘い見積もりから始めた連載形式。
案の定書けなくなりました。
4話のから「こんなはずではなかった、なぜ連載しているのか…」と、まるで青虫のようにもだえ苦しみ。
なにか! なにか物語に加えられる突破口を!!
とかなんとかやってるうちに、仕事に忙殺され、ぎっくり腰を再発し、PC前に座れなくなりました。
私は、相変わらず馬鹿なんです。
多分一生、から回って体を壊すサイクルから逃げ出せない気がします。
そんな日が続くうちに、すっかりと、週末世界の商人の存在を頭から消してしまっていたのでした。
ちゃんちゃん。
どんな愚策でも最後まで書き上げろ!と、後輩に言ったかつての私に対して「お前、口が裂けてもそんなこと言うな!!」
と、ビンタをかましてあげたいです。
書かない私にビンタはしないのかって?
し ま せ ん!!!!
だって、ちゃんと一応がんばってたから!!!
そんな私の失敗談。
このままただ腐らせてしまうには惜しい。
noteで連載を書こうとして途中で止まって、noteを書くこと自体が嫌になってしまった人の参考になったらいいなという軽い気持ちで
せきららに失敗したポイントを語ります。
誰がそんなもんを語る資格があるのか1時間問い詰めたい気持ちはわかります。
ですが、私はあなたが見ている画面の向こうの人間です。
「連絡先しっとるぞ! 電話して説教しちゃるけんのう!」と鼻息激しく真っ赤な顔で意気込んで電話かけてきたとしても。
要件を途中まで聞いて別の話にすり替える。
得意のはぐらかし会話スキルでぼっこぼこにして電話を切ります!!
へっ!
こちとら40手前のBBAよ!
自分の恥を晒して、今更恥ずかしいことがあろうもんか!!
*ある。ちゃんとあります。
この前、疲れと食欲に負けてカロリーメイト1箱と、菓子パンと、クッキーとチョコレートを衝動的に買ってドカ食いしました。
体重がそろそろ次の大台を突破します。
やだ、恥ずかしい。
・自分のタイプが連載に向いているかを検討してみよう
週末世界のマーキュリーが最後まで書けなかった理由。
それは、単語ガチャによる連想形式の作品だからということに原因があります。
もともと、文章のリハビリのために、単語ガチャを使って、小説のようなものをまれに書いてました。
週末世界のマーキュリーを書くまでは、簡潔形式。
短尺の縛りをもうけて、面白くなくても無理矢理にでもオチをつける。
そうすると、自分が普段は絶対に考えないような展開や、ドラマが生まれて
「ええー! 私が書いたっぽくなーい!! 面白ーい!!」
と、一人で楽しんでいました。
私はもともと、イメージ優先でものを作るタイプです。
しかも、放っておいたらずーっとイメージを膨らませ続けられます。
風船のような感じです。
イメージを続けて広げて膨らませて、限界まで風船の生地が薄くなって、やがて破裂します。
風船に入れ続けたイメージという空気は無残にも無産し、足元には風船の殻だけが残るのです。
今回の失敗の原因は、「絶対に短編でしか取り組まない」と決めていたルールを破ったこと。
そして、ルールを破ってでも書き上げられる実力がなかったこと。
これが最も大きな失敗でした。
・毎日の執筆ペースを守らないと完結しない
わたしこと月邑弥生はかつて、1本だけ長編の作品を完成させれたことがあります。
戯曲なんですがこういった本を書きました。
完成まで3か月かかっています。
私は「あとでやろう」は「一生できない」タイプです。
なので、この本を書くときは、
「家庭の何かを壊してもいい、睡眠が2時間削られてもいい。完成させるために毎日1P必ず書く」
という固い約束を自分としていました。
当時は夫と二人暮らしだったので、寝食を忘れ、ゲームも映画も漫画も小説も断って、ひたすらペースを守り続けることだけに集中していました。
かならず1Pです。
数ページ調子に乗って書いた日もありましたが、乱雑になっている部分をひたすら直していた時間も多かったので、やっぱりあとで考えると毎日1Pを守っていました。
私はそもそも長い間1つのことに集中することができません。
集中しやすい性格ですが、同時に気が散りやすい性格です。
何か一つのことに集中するためには
「自分の何かを犠牲にして、大きな結果を得る決意」に匹敵する動機付けが必要です。
しかもそれが、単純な金銭報酬ではピクリとも動かない。
「自分と誰かに利益がある」という条件が必要です。
その誰かがいないと作品完成させられません。
でもそれは誰かのために書くんだなんて崇高な志ではありません。
私は思いを乗せてもいい人間を探し続けるハイエナです。
フンガフンガして、獲物を探しています。
今回のお話は「私が好きだから書く」以上のモチベーションを見いだせず、自分が一番苦手な毎日ペースを守るという行為に挫折しました。
他人の存在がなきゃ自分がコントロールできない。
その性格を思いのほか甘く見ていた。
自分が好きだからで追及できるほど、私は人生をまじめに生きてない。
これも一つの要因です。
自分の性格上の問題はあきらめてます。
来世に期待。
・書けなかったからってnoteを閉じるな!
ほんとに一番やっちゃいけないこと。
それは、連載途中の小説をどうしたらいいのかわからなくなってnoteに近寄らなくなること!
楽しく読んでくれてた人には申し訳ない気持ちはあるんですが…
(いいねをちょっといただいてたんだよね。本当にありがとうね)
書けない、苦しい、なんかすごい私やっぱりだめなんだ…
みたいにちょっと思った日もありましたけど。
職業作家じゃないので、私はいつでも「やーめた!」って言ってよかったな。
そういうこと言うとアマチュアの甘えだなぁみたいなことを、プロ作家はマウントとってくるかもしれませんが。
ああそうだよ!
私はアマチュア作家ですらないし、なんだったら古物商のセミプロだよ!
お前の家の家財一式の査定しちゃろうか!!
という謎マウントを取り返す度胸が必要でした。
まだまだそういう「顔の見えない誰か」への恐れって、私の中で克服できていませんね。
いずれ「顔の見えない誰か」は、「私の人生に関係ない誰か」だと思える日が来るといいなと思います。
徐々にスレ具合は進行中なので、おろらく50歳くらいにはこの問題は解決できるかもしれません。
・創作世界のアマチュアへ
私たちはそれで食べてない。
私たちは、私たちのためにそれをやっている。
私たちは、私たちのために作っている。
それに対して、過剰な批判を想像して恐れる必要はない。
私たちは幸いにして。そして、不幸にして。
インターネットという自分の作品を発表できる場を手に入れてしまいました。
本当は自分だけが読むノートの中だけ、ワープロの中だけに納まっていた作品を、この世に放つことができるようになってしまいました。
それは喜ばしいことですが、不幸なことでもあります。
趣味の一環で「素人にしちゃあよくやるね」と言われた評価が、この世のどこにもなくなってしまったからです。
「評価されなければ、書く意味がないんじゃないか」
同じことを私も時々悩んでいます。
けれど、それに足を絡めとられないように、日々詭弁を使って回避します。
私は・・・もしくは、私たちは。
自分が幸せになるために作ることを趣味として選択した。
それが評価されなければこの世に存在する意義がないんじゃないか?
そんなことないよ。
わたしは、私が書くものが好きだもん。
現代のヘンリーダーガーに、私はなりたいよ。
(でもあんなに長い話を書くのは勘弁だ)