バンドコミュニティに期待したことと、コミュニケーションの危うさ
podcast「恥を抱きしめて」第17回「バンドコミュニティへの期待とコミュニケーションの危うさ」のあとがきです。
ポッドキャストのタイトルを機微を抱きしめてから恥を抱きしめてに変えた今回。
心の小さな動きを否定せず抱きしめていこう、という心づもりでつけたタイトルでしたが、もっと自分の心を大きく揺るがしている出来事について、恥ずかしいけれど、それでも話していく。
そうすることで、「これって自分だけかな」と思っている同じような”仲間”と、居場所を感じ合える場を作りたい、という気持ちからタイトルを変更しました。
恥をかいてもいい。間違ってもいい。
そんなことをこっそりと置いていきたいです。
また今回は、そんなコンセプトに合わせて、ひとり喋りから夫との対話形式を試してみています。
自分ひとりで話すよりも、寄り道をしたり、自分だけでバランスをとった発言をしないで偏ったままに表現したい、という気持ちから対話形式にしてみています。
動画でも撮ってみているので、YouTubeの方もぜひチェックしたりフォローしてみてください。
さて本題としては、前回の「体型や見た目へのコメント、全部余計なお世話だバカヤロウ」を踏まえて、その補足をしながら夫と話してみました。
主なテーマ2つをまとめると以下のようになります。
①バンドコミュニティに期待したことと裏切られた感覚
体型や見た目へのコメントをされるシチュエーションが、バンド界隈でばかり起きた私。
日常でのうまくいかなさや孤独を音楽で埋めてきたため、バンドコミュニティ、とりわけコアな音楽を聴く人たちはみんな少なからずそういう経験をしてきて、痛みへの想像力がある、という期待をしてしまっており、それが裏切られた感覚になったことがより辛かったという話をしました。
中身や文化で繋がってるんじゃないのかよ、と言う悲しさ。
そういう社会の偏った価値観が息苦しくて音楽を聴いてる、同じような仲間じゃなかったのかよ、なんでそんな場で改めて”女”という記号的に扱われなきゃいけないの、という失望。
同じ音楽を聴いているからといって同じようなことについて考えたり向き合ったりしているわけじゃないことなんて、今となっては当たり前だなと思うのですが。
自分は音楽をとても必要とするのに、それをやるコミュニティにいると自分が苦しくなる、という板挟みにとても苦しみました。
②コミュニケーションは伝えるのではなく知ってることの確認
自分の意見を話した後に補足したくなる感覚や、相手に自分の切実な気持ちを伝えても受け取ってもらえない時にノイローゼになってしまうことについても話しています。
自分が相手に何かを伝えて伝わるということは、相手がすでに同じようなことを考えていたり知っていることで成立する場合が多いです。
同じようなことを考えたり感じたりしている者同士の会話では、言葉をそんなに尽くさずとも通じ合えたり、細かい部分の考えなどが違くてもその差異を抱きしめることができる。
しかし、伝えても伝わらない人には、こちらの考えや事情を具体的に言えば言うほど会話がぎこちなくなり、言い争いになっていく。
揚げ足を取られたり前提を履き違えられたりして、お互いに相手がおかしい、自分が正しい、という扱いをしあってぐるぐるしてしまう。
そのような話をしました。
他にも
男が男に言う体型と女が男に言われる体型では意味合いが違う
見た目のことへの言及が気にならない場合
などについても話しています。
ぜひチェックしてみてくださいネ!