スタートアップはなぜ日本で栄えないのか:レモネードスタンドの話
私は日本人ですが、今アメリカの中でもスタートアップが非常に盛んな地域に住んでいます。そのため、「どうして日本ではスタートアップが米国と比較して少なく、また成長が限定的になるのか」という話題が毎日のように会話に出てくる日々です。(要因は多岐にわたり、スタートアップといっても領域によっても状況は異なりますが)このような会話の中で、非常にソフトな面として、こうした文化的な要因もあるのではないか、と感じることがあります。
アメリカでは、子供たちが「レモネードスタンド」を開き、自分の手でお金を稼ぐ練習をすることが推奨されます。実際、レモネードだけでなく、夏休みや放課後に手作りの小物を道端で売っている子供たちの姿もよく見られます。これらの活動は、貧しい地域でお金を稼ぐ手段として行われているのではなく、むしろ教育熱心で裕福な地域で盛んに見られる文化です。親や地域社会が、子供にビジネスやお金の価値を学ばせるための手段として奨励しているのです。この活動は単なる遊び以上のものであり、子供たちがビジネスやお金の価値について学ぶための貴重な機会を提供しています。例えば、レモネードを販売することで、子供たちはマーケティングや価格設定、顧客とのやりとりといったビジネスの基礎を実践的に学ぶことができるのです(参考リンク)。彼らにとって「お金を稼ぐ」というのは、ただの手段ではなく、自己表現や学びの場として早いうちから自然と身についていくものなのです。
また、日本での「稼ぐこと」への考え方についても感じることがあります。文化に良し悪しはないと考えますが、特に個人が周りと違う方法でお金を稼ぐことについては、手放しで良しとはしない文化が比較的根付いているのです。最近では少しずつ許容されるようになってきていますが、「出る杭は打たれる」という文化はまだ根強く残っています。一方で、アメリカ(特にスタートアップが盛んで、国全体のイノベーションを牽引している地域)では、知恵を使って個人が莫大な富を生み出すことをもろ手を挙げて「善」として称賛する風土があります。
また、アメリカでは多くの家庭で投資を「お金の使い方のひとつ」として、子供のころから教えていることも多いそうです。子供のための口座をつくり、株や貯蓄といった運用方法を通して、賢く稼ぐことを意識する力を養っています。このような「稼ぐ力」と「増やす力」を育む姿勢は、教育文化として根付いていて、社会全体の経済リテラシーにも影響を与えているのでしょう。
一方で、日本ではお金に対する教育やアプローチが少し異なるように感じます。多くの日本人にとって(我々のような新卒になってから大分時間がたっている層も含めると…)、まだ「大企業に入って組織の一員として働き、安定した収入を得る」という道が「正しい」キャリアのあり方として認識されているのではないでしょうか。米国は個人主義的価値観が強く、日本は米国と比較すると特に仕事や社会活動の面では集団主義的な色合いが強い国でした。(一方で、日本は米国以外の国々と比較したとき、特に精神面では個人主義的な色合いが強いとも言われています:こちらのリンク)このような背景から、自己を主張して稼ぐよりも、安定した環境で共同体の一員として働くことが重視される傾向があるのかもしれません。
文化に良し悪しはないと考えています。しかしもし日本でアメリカと同様にスタートアップを推奨し、起業家精神を育成したいのであれば、個人が知恵を絞ってお金を稼ぐことをもっと推奨する文化的な変化が必要になるかもしれません。日本の社会の在り方の良いところもたくさんあると思いますが、そのままアメリカと同じアウトプットを目指そうとすると、「木に竹は接げない」ということになるのかもしれません。
*国の文化の相対的な比較に興味を持った方には、こちらの方をお勧めします。データも豊富で、日本を含む、各国の文化に対する理解度が、ファクトベースにぐぐぐっと深まります:
Erin Meyer: The culture map- Breaking through the invisible boundaries of global business
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