数学Bだけは右ではなく左へ
高校2年の頃は、とんでもなく成績が悪かった。
進学校だったので、単純に内容が難しかったからというのもある。しかし、勉強の質もさることながら、膨大な量の知識に頭を悩ませていた。
確か火曜日は、2時限目と6時限目に数学があった。ただでさえ苦手な数学が一日に2回もある。さらに、最も疲弊しているであろう6時限目に2回目をぶつけてくるあたり、授業計画作成に関わったすべての人間を呪いたい。そんなんでまともに授業を受けられるわけがないだろうに。まぁ、どのタイミングの授業でも睡魔と戦っていたと思うが。
なにしろ中学までとはレベルが違う。授業をのほほんと聞いているだけでは、成績など上がるどころか下がる一方である。そもそも、のほほんと聞いていたかどうかですら怪しいのだから、成績は流れるように下り坂を走っていたに違いない。
真面目を絵に描いたような優等生こと僕だが、多感な思春期にはいろいろある。
繊細なハートから憤怒のマグマが噴出し、ゴリラのように荒れ狂うこともめずらしくはなかった。
不安定なメンタルも、今思えばこの頃から顕著であった。
気分が悪くて学校を休み、その後すぐに元気を取り戻して一日中ゲームをしていたこともあった。元気になってなによりである。
しかし、これが悪夢の始まりだということを、冷静に考えたらわかりそうなものだが、若き日の僕は知る由もなかった。
学校を休むということは、その分授業を欠席するということ。
それが火曜日ならば、1日で2時限分の数学を摂取できないということになる。この100分が大きな差をつけることは明白だろう。
僕が休んだその日は、ちょうど数学Bが始まるタイミングだった。最初の2時限は基礎中の基礎だったので、スタートダッシュを逃してしまった僕が追いつくのは至難の業である。
翌日に復帰して授業を受けたものの、先生がなにを話しているのかさっぱりわからない。
ベクトルってなんですか? ファイアーエムブレムの話ですか?
そんなよくわからない授業を右から左へ受け流し、復習もろくにせず、ゲームだのバドミントンだのに明け暮れているうちに、中間テストの日がやってきた。やってきてしまった。
手応えも結果も惨憺たるものだったことは、いうまでもない。
数学Bは100点満点で25点だった。当然、赤点である。
そして、教科順位はもちろん最下位だった。
それだけなら良かった。いや、少しも良くはないのだが、成績表の偏差値の欄を見てこれほど愕然としたのは、後にも先にもこのときだけだ。
原物が見つからなかったので、イメージ図でご覧いただきたい。
まいなすれえてんさん…???
マイナス!? まままマイナス!?
右方向にしか行かないはずの横棒グラフが、一人だけ左へピョッとはみ出ているではないか。授業を右から左へ受け流していたことを象徴するかのようである。これはムーディ勝山に報告せねばなるまい。
「偏差値にマイナスとかあんの!?」と思って調べてみたらあり得るらしい。極端に点数の低い者が一人いて、他のすべての者が高得点だと、この現象が発生するのだとか。
確かに、あのテストはちゃんと授業を受けていた人にとってはめちゃくちゃ簡単だったらしく、満点が何十人もいたし、平均88点とかだった気がする。
僕は両ひざをつき、首を垂れ、この世の終わりのような絶望感に打ちひしがれた。自業自得もいいところである。むしろ数学の先生の方がそういう心境に陥っていただろうに。
当然ながら、補習というか宿題というか天罰というかが課されることになり、「お前はこれをやっとけ」と数学の先生に苦笑いされながら基礎問題のプリントを賜った。本当にすみません。
このテスト結果によって、僕は「時は金なり」の意味を痛々しいほどに理解した。
また、授業を欠席することは現状維持ではなく後退なのだと思い知り、競争社会の仕組みを垣間見た経験となった。
あと、これを書いているうちに「日本史も25点を取ってしまったために、多くの先生がいる職員室で一人追試を受けた」という記憶がよみがえった。
よって、先ほどの成績表のイメージ図における日本史の偏差値は、さらに左へ受け流されることを付け足しておく。
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