認知症徘徊模擬訓練で逮捕された話
この話を語る前に、認知症徘徊模擬訓練(にんちしょうはいかいもぎくんれん)について記述せねばなるまい。
ざっくり説明すると、
『認知症の人がどこかへふらっと出かけてしまって行方不明になってしまった、というような設定で、認知症高齢者の発見、声かけ、保護などを訓練すること』
である。
訓練を通して、地域住民や自治体などの関係機関がそれぞれの役割を理解し、認知症高齢者への接し方を学ぶことで、事故を未然に防ぐのが目的となっている。
僕は、役場職員時代に福祉関係の部署を担当していたこともあり、実際に行方不明者の捜索にあたったことがある。
この手の事件は、慣れていないと実際に起きてしまったときにアワアワしてしまう。男性ブランコの音符運びネタの平井さんくらいアワアワしてしまうのだ。
というわけで、「我が町でも模擬訓練をしようではないか」と誰が言い出したのかは知らないが、とにかくやることになった。
◇
模擬訓練は、隣町と合同で行うことになった。
2つの町を、仮にA町(僕のいた町)とB町というふうに呼ぶ。
本訓練には、町内を徘徊する高齢者の役が必要となる。
さらに、A町の高齢者役がB町で徘徊、B町の高齢者役がA町で徘徊することになった。
模擬訓練の日程が決まり、A町の福祉部署内で参加者の確認をしていた頃、訓練の担当者からお声がかかった。
「アルロンさん、B町で逃げ回ってくれません?」
最初、『逃走中』のオファーかなと思ったが、違った。件の徘徊する高齢者役の方だった。
高速で追いかけてくるグラサンスーツから逃げおおせる自信は露ほどもなかったので、少し安心した。あと、あれ心臓に悪い。
こんなピチピチの美少年を捕まえて高齢者役とはいかがなものか、と思いながらも、なかなか経験できるものではないので快く引き受けた。
◇
模擬訓練当日。
一人B町に向かって車を走らせる。
出発前、上司に「すぐに見つからないように気をつけろよ」と言われたが、いやいや、だから『逃走中』じゃないんですよ。
40分くらいでB町の福祉センターに到着した。挨拶と打ち合わせを済ませ、事前に決められた地区を歩き回ることになった。
「見つからないように」と言われたものの、だだっ広い道路と閑静な住宅街しかない。
これ、すぐ見つかるんじゃね?
とりあえず、僕もよく知らない地域なので、周辺を散策してみる。
田舎町というものは、平日の午後ときたら人っ子一人いない。
これ、すぐ見つかるんじゃね?
さんざん歩いて足が疲れた。時計を確認する。開始時刻までまだ1時間くらいある。まじか。
歩くのは好きだが、決められた範囲を目的もなくウロウロするのは、公務とはいえさすがにつまらない。何より、事情を知らない一般住民に通報されないか心配である。
もしPokémonGOを起動していたらタマゴが孵化しそうなあたりで、ようやく開始時刻となった。
見晴らしの良い地域の中で、なるべく目につきにくい、街路樹が茂った道を歩く。
道行く人もいなければ、自動車の1台も通らない。
これ、すぐ見つかるんじゃね?
そのままウロウロしていると、十数m先の曲がり角から白いセダンが現れた。
そのセダンが路上駐車したかと思うと、にこやかなミドル女性が2人と、大柄なミドル男性が1人、車から降りて出てきた。
これ、見つかったんじゃね?
3人がこちらに向かってくる。
僕は、ありもしない罪の意識で踵を返した。
これ、見つかったわ。
ミドル女性のうちの一人が早足で回り込み、「こんにちは~」と僕の顔を覗き込んだ。
はい、見つかりました。
そして、残りの2人と合流し、白いセダンで一緒にB町の福祉センターに戻ることになったわけだが、合流時にミドル男性が冗談交じりでこう言った。
「おとなしく観念しろ」
僕は、無事逮捕された。
◇
B町の福祉センターに帰還した。
先ほどのミドル男性はB町の模擬訓練担当課長だった。
戻って来るや否や「ホシを逮捕したぞ」と報告していたので、なんともユーモラスな人である。いや、でも、僕、何も、悪いこと、していない、んです、けど。
訓練の結果を聞くと、僕を逮捕(保護)したのは開始から5分後だそうだ。はっや。
そして、事後のアセスメントが行われた。被疑者(被保護者)である僕も当然出席した。
高齢者役として歩き回った感想として、被発見時はやはりドキドキした。声かけは優しくていねいではあったが、そもそも声をかけられること自体にビビっていたので、そこに課題があるように思った。
そりゃあね、急に車から人が出てきてこっち来たら怖いでしょうよ。
とにかく、認知症の人の視点がほんの少しだけわかった気がしたので、有意義な訓練になったと思う。
A町に帰ってくると、上司からの第一声は「見つかるの早すぎだろ」だった。
いや、だから、『逃走中』じゃないんだってば!