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所詮この世は抱腹絶倒【ショートショート】

「あー、ギックリ腰ですね」


目の前に座っている初老の医師が言った。そうか、私はギックリ腰になってしまったのか。



今日は押し入れの掃除をしようと思い立ったのがいけなかった。
段ボールに詰め込まれた1ページも読んでいない小説の山が、「この恨み晴らさでおくべきか」と言わんばかりに私の腰にダメージを与えた。買った当時はそれなりに体も健やかだったのだろうが、お腹ばかりが成長を続ける運動不足のアラフォーともなれば腰が弱っていて当然だ。

私は仕事中の夫・つよしに電話をかけた。夫の仕事は福祉用具の営業。真夏の平日の真っ昼間、外回りで辟易しているところに「ギックリ腰やっちゃったから病院まで送ってほしい」と連絡するのは忍びなかったが、他に頼れる人はいない。背に腹は代えられないし、腹は腰に代えられない。夫は会社に連絡し、午後休を取得して帰って来てくれた。ありがとう。好き。



診察後、湿布と痛み止めを処方してもらい、ようやく病院を出ることができた。

現在の時刻は、午後1時。夫も私も、昼食はまだだった。


「どこかでなんか食べていこっか。えみはどこか行きたいところ、ある?」


運転席の夫が聞いてきた。特に食べたいものはないが、腰が腰なのでソファーのある場所がいい。


「じゃー、ファミレスとかの方がいいかな。『どんぐりビッキー』でいい?」


夫がそう言うと、私たちを乗せた軽自動車は広い駐車場に入った。

「どんぐりビッキー」は、私が小さい頃よく連れていってもらったハンバーグレストランのチェーン店だ。今でもランチの選択肢に悩んだときはここに来るくらい、行きつけの店となっている。

待合席で名前を呼ばれるのを待っていると、会計カウンターの横に立っているマスコットキャラクターの像が目に入った。この店のマスコットキャラクターは「ビッキー」といって、米俵サイズのどんぐりを肩に担いでいるムキムキマッチョな赤いカエルだ。今日も熱血漢な風貌とは不釣り合いな光のない目でこちらを見つめている。

しかし、いつも見ているはずのビッキーが、なぜだか今日は面白く見えてしまう。ダメだ、笑ってしまう。笑うと腰に響くのに。くっ、なぜ今日に限って。


「……くくく」


えみ?」


夫が怪訝な顔をしている。自分の妻が悪巧みをしている魔女のような笑い方をしているもんだから、腰ではなく頭がおかしくなったと思っても無理はない。笑いを押し殺しているのが裏目に出てしまったようだ。


「な、なんでもない……」


今まで足繁く通っていたはずなのに、突然のビッキーの裏切りに面食らった。なぜ今日は彼(ビッキーの性別は知らないけど、たぶん男だと思う)が面白おかしく見えてしまうのだろう。店員さん早く、早く名前を呼んで。


「2名様でお待ちの火暴ひあばれ様~」


ああ、やっと呼ばれた。私は夫に肩を貸してもらいながら、店員さんの後に続いた。

席は程よい柔らかさのソファーだった。硬すぎず柔らかすぎず、ギックリ腰専用席かと思うくらいちょうどよかった。


「お腹空いたね~。さぁ、なに食べる?」


正面に座った夫が言った。
私から見て左の鼻の穴から毛を1本こんにちはさせながら。


「……んぐふふ」


やめてくれ。このタイミングで鼻毛ちょろんは反則だ。夫のことだからわざとじゃないのはわかっている。それでも、今の私にとって鼻毛ちょろんは死活問題だ。


えみ、さっきからどうした?」


「……ご、ごめん…………ちょっと思い出し笑いで……イタタタ……」


「うわ、それキツイね。おいしいもの食べて忘れよ!」


夫は優しい。いつも私のことを気にかけてくれている。まあ今に限っては私にとって最も脅威なのはあなたなのだが、その優しさにいつも救われているので鼻毛ちょろんは不問としよう。

それにせっかくのランチデートだ。こうして二人でゆっくりランチを取るのはいつぶりだろう。不慮の出来事とはいえ、貴重な時間ができたのだから大切に過ごしたい。

注文が決まり、夫が店員さんを呼んだ。


「すいませーん」


しかし、なかなか気づいてもらえない。ピークを過ぎたとはいえ、まだまだ店内は賑わっている。どの店員さんも忙しそうにあちこち走り回っていた。


「すいませーん。すいま……あの、すいませーん!」


全っ然気づいてもらえない。だんだん可哀想になってきた。そして可哀想を越えて面白くなってきてしまった。


「……ンフフフッ」


いかんいかん。彼は真剣に店員さんを呼んでいるのだ。如何せん声が通りにくいだけなのだ。結婚前、大衆居酒屋で飲んでいるときに何度「すいませーん」を言っても届かなかったことがあったっけ。あのときは私が言ったらすぐに来てもらえて、それがおかしくて二人して笑ったなぁ。

……くくく、ダメだ。本当に思い出し笑いしてしまう。


「……あ、呼び出しボタンあったわ」


やめてー! 天然ボケやめてー! 気づかなかった私も私だけど、ちょっとしたボケでも笑っちゃいそうになる今は本当にやめてー!

呼び出しボタンを押すと、すぐに店員さんが来てくれた。私は笑いを押し殺すのに必死でうずくまっていたのだが、彼女には体調不良に見えたのだろう。夫に「お連れ様、体調が悪いのですか?」とていねいに聞いてくれていた。大丈夫です。腰の状態と笑いの沸点は最低レベルですが。


「ちょっと腰が痛いだけなんで大丈夫です。あ、注文いいですか?」


夫がうまくごまかしてくれた。そして注文をしてくれた。


「えっとー、ハンバーグランチセット2つ」


「ハンバーグランチセットがお2つですね。ドリンクはなにになさいますか?」


えみはウーロン茶のホットだったよね」


「ホットウーロン茶がお1つ」


「俺はー、アイスコーヒーをホットで


「アイスコーヒーを……フフッ、ホットコーヒーがお1つ、ですね……w」


「……ブホッ」


もうー! ダメだってー! ほら店員さんも笑ってるじゃーん!
いや「あれ? なんでこの店員さん笑ってんの?」って顔してんじゃないよ! あんたのせいでしょ!

しんどいしんどい。全身が小刻みに揺れて、確実に私の腰にダメージを与え続けている。なぜだろう、だんだん目の前のこの男が嫌いになってきた。



地獄みたいなランチタイムを終え、私たちは店の外に出た。後はとにかく家に帰るだけ。車の乗り降りはつらいが、家までは5分くらいの距離だし、未だにちょろんしている鼻毛と向き合わないで済む。

駐車場に戻ると、道端で電話をしているおじさんが見えた。右手にはスマホ、左手にはリードを握っており、リードの先にはかわいらしい黒柴犬が。どうやら愛犬との散歩中のようだ。

わんちゃんは好奇心旺盛そうで、「ハッハッ」しながらあちらこちらへ歩き回っている。おじさんはわんちゃんの方に目もくれず電話に夢中だ。

わんちゃんがおじさんの周りをちょろちょろしているので、長いリードがおじさんを囲うように配置されている。やばい。これはわんちゃんが急に走り出したらおじさんがリードに縛られて転んでしまうやつだ。こんなの絶対に笑ってしまう。

しかし、隣の天然ボケ男が余計なことをしてくれた。


「あ、あのわんちゃんかわいい~! お~い!」


そう言ってこの男は、わんちゃんの方に手を振った。するとわんちゃんは、嬉しそうにこちらに向かってダッシュしてきた。

私の予想は当たってしまった。わんちゃんがダッシュするや否や、リードがおじさんの両足を縛り上げ、おじさんはドミノのようにきれいに後ろへ倒れた。

それだけでも私にとっては致命傷だったのに、オーバーキルな出来事が起きた。

おじさんが転んだ拍子にスマホが宙を舞い、排水溝の隙間にスポッと入ってしまったのだ。

加えて、おじさんのズボンが勢いよく引っ張られ、その拍子にパンツまで脱げ、おじさんのおじさんがこんにちはしてしまった。



「あはははははははははは」




私の腹筋は決壊し、同時に腰と精神も決壊した。笑いと涙が止まらない。笑いながら泣くおばさんが爆誕してしまった。

突如として豹変した妻に戸惑う夫。私はうずくまっていたが、おろおろしている様子は感じ取れた。そんな彼が、私にとどめを刺す。


「わっ、おじさんがダッシュしたから、わんちゃんが倒れちゃった!


こちらに向かって嬉しそうな顔で走ってくるおじさんが脳内で再生され、ただでさえ凄惨な私の腰は見事に砕け散った。

止まらない大笑いと涙もそのままに、私は今できる限りの力をこめて夫にパンチした。




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アルロン
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