笑いのツボが浅い人と一緒にいすぎるのも良し悪し
うちの母はすぐ笑う。僕のしょーもない言動で。
甲子園のテレビ中継を観ていたとき、ウグイス嬢の「ピッチャー、〇〇くん。キャッチャー、◇◇くん」みたいに、
「ランチ、トムヤムクン」
って言ったら、まあまあウケた。
ちなみに、トムヤムクンは食べたことない。
数日前は、昼食後に仕事を再開しようとするときに、
「さーてさてさてさーてさて」
とリズミカルに歌っただけで笑っていた。
「さ」と「て」の2音だけで笑いを取れるなんて思いもしなかった。
今日に至っては、佐藤二朗のモノマネ(別に大して似てはいない)をしながら、
「あっ、鶏肉は、ないですぅー」
とか言ってたらゲラゲラ笑っていた。もはや面白いのは僕ではなく佐藤二朗なのだが、自分が笑わせたことに快感を覚えている。母よ、あなたの息子は大丈夫か。
実に愉快な母である。人を笑わせたい欲の大きい僕にとっては、笑いのツボが浅い母ほどうってつけの客はいない。
しかし、そんな母と長く同居することで、大きな弊害があった。
それは、他の人にはあまりウケないことだ。
母があまりにもよく笑うもんだから、ギャグのクオリティーが低くてもすぐ披露してしまう。質より量。本当にしょーもないことで笑ってくれるので、自分自身で感覚がマヒしているのだろう。底辺みたいなギャグを面白いと錯覚してしまうことほど危険なことはない。
そんなわけで、友人や飲み屋の店員さんに同じ話をしても、リアクションは母のそれとは違う。なんというか、微妙なのだ。ひどいときは「どゆこと?」って聞き返されることもある。これ、めっちゃ恥ずかしいんだけど。
前述の「さて」の件にしても、母曰く「お母さんだから笑ったんだよw」とのこと。ド正論。
要するに、笑いのツボが浅い人と一緒にいることにはメリットもデメリットもあるのだ。
ざっくりまとめると、次のとおりとなる。
【メリット】
純粋に気分がよくなる
「人を笑わせた」ということで自己肯定感が上がる
【デメリット】
ギャグセンスが低下する
ギャグセンスが低下していることに気づきにくくなる
こうして考えてみると、一緒にいる人との「笑いのツボの近さ」はめちゃくちゃ大切なのでは。
お笑いのネタでもバラエティ番組でも、同じところで笑うことでシンパシーが生まれ、人間関係も円滑になりそうなものだ。浅すぎても深すぎてもダメ。自分と同じくらいが最も快適だと思う。お互いにね。
そういう視点は、パートナーを探す上でも案外重要な羅針盤になり得る気がする。
図らずも恋愛論エッセイになってしまいましたね。
強制はしませんが、面白いと思ったら笑ってもいいんですよ?遠慮しないで!ほら!ほら!