近松『曾根崎心中』を読む

『源氏の女君』塙新書 1959という清水好子の書がある。ずいぶん昔に読んだけれども、また書かれたのもかなり昔だけれども、一読三嘆に近い感想を持った。

ウィキに「藤壺事件」としてあるその出来事、少し引用すると、「光源氏が義母である藤壺と密通し、その結果表向きには桐壺帝の子であるが実は光源氏の子である皇子が生まれ、その皇子が冷泉帝として即位し云々」

のちに「もののまぎれ」として大いに問題となった事件だ。要は皇統が光源氏によって汚されたというもので、ことに天皇崇拝、現人神としてのヒロヒトの時代には許し難いこととして、物語としての源氏は甚だ評判が悪かった。

逆に推奨された作品は潔く死地に赴く『平家物語』『太平記』でした。「戦後」は手のひらを返したように「細やかな感受性を描いた」などの美辞麗句で源氏を誉めそやす。軍服しか着なかったヒロヒトが敗戦後は背広を着て何事もなかったように振る舞うのと好一対であろう。

さて、清水好子はそのもののまぎれに、女性の復讐を読み取ったのだった。自由の身にならず男性の政治政争の道具扱いされる女性が、重んじられはべき皇統、その皇統に帝ではなく、好きな男性と交わり皇統血筋横領することで復讐していると主張したのであった。女性が政治の具として利用されるこの「人身売買」は「政略結婚」という語が示すように現代にあっても滅びていない。清水の批判は半世紀を経ても鋭い矛先を読む者に突きつけるだろう。

清水の読みは見事なフェミニスト読解ではないか。古典の源氏も読み方次第では現代的なスリリングな読みを展開できるということだろう。

その方法を換骨奪胎して『曾根崎心中』を読んでみるなら、多くの現代的問題点が浮き上がりはしないだろうか。(廓という制度がいかに女性にとって残酷であったかと対照的に落語など男性中心の芸能によって美化されて来たかは大いに問題化されて好い)

天満屋の遊女お初と醤油屋のの手代との恋物語なんだけど、ちょっと考えてみると、お初は遊女、夜な夜な男どもと情を交わしているのだ。お初はいかにして徳兵衛へな恋を証し立てるのか? 

西洋の十字軍では戦地に出かける兵士たちはその「妻」たちに鋼鉄製の貞操帯を付けさせたとか。「妻」たちの貞操の破られるのが心配だったのである。

徳兵衛はいかにしてお初の恋を信じるのか?

お初にしても徳兵衛にしても、他者との性的な交わりは二人の恋にとっては微塵も問題がなかったのだ。つまり証しなしの無条件の恋。ひたすら互いを信じるところに2人の恋は成り立っている。

こんな純愛があるだろうか。2人の一途と言えばあまりに一途なその恋に当時の観客やんやの喝采を送ったのだった。

他の異性と交わらないことが「愛」の証しとされるようになったのは恐らく近代以降、キリスト教と西洋の恋愛観(もちろん男性どもの造った道徳)の影響なのだろう。キリスト教ほど禁欲的な宗教も珍しい。十戒のひとつに、「姦淫の心を持って異性を見たものはすでに姦淫したことになる」だって。思うくらいいいじゃないかというのが素朴な感想である。

かつて趙博こと浪花の巨人パギヤンの声体文藝館で五木寛之の『青春の門 筑豊編』を桟敷で聴いていた時、女性が恋しい男への手紙だったかに「処女じゃなくてごめんね」というようなセリフがあった。隣に座っていた友人の女性、「つまらんな」と一声。

この「処女崇拝」も日本では近代のもの。江戸では年季の明けた遊女が好きな男性の元に嫁ぐというのが、例えば落語「紺屋高尾」その他で繰り返し出て来るのを見ると、処女性にはさほど価値を置いていなかったのが理解されよう。

五木寛之のマチズモを内面化したパギヤンは「処女性」なるものの持つ意味合いをスルーして唄ったのかも知れない、とその友人は語っていた。

お初徳兵衛の心中については他にも言いたいことがある。大阪市長時代に橋下徹は文楽への補助金をカットしたけど、かなり怒りを感じたのを覚えてる。文楽ファンとしては許し難い施策だった。高校生のとき古典の授業で近松の文章を読み、えらく感心して帰途に岩波文庫を買って読んだ。その頃の夢は二十歳までに心中すること、しかし心中してくれる相手が見つからず夢は夢に終わり、これまでおめおめと生き永らえてしまった。その後10年ほどして実際に人形浄瑠璃を劇場で聴いた時、あの「ベンベン」となる太棹の音色にいかれてしまったのだった。爾来文楽の大ファンとなり歌舞伎や能狂言へと誘われるのにさほど時間がかからなかった。

儒者荻生徂徠も涙したという一節
♪「この世の名残り、夜も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ。 あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり。」

私事はさておき、徳兵衛は友人に騙されて多額の借金を抱え二進もさっちも行かなくなる。『冥途の飛脚』〈「封印切りの段」も「新口村の段」の道行もいいなぁ〜)その典型だけど、金銭的に追い詰められて心中へと赴くという筋立ては、当時の貨幣経済の浸透とその残酷さを余す所なく活写していて近松の筆の冴えは見事と言うよりない。まだ資本主義には至ってなくとも貨幣経済が富の寡占を加速してプレキャピタリズムの様相を呈しているのだった。

近松がその作品群で描いたのは従来言われたような「義理と人情のはざま」で苦しむ人間模様というよりは、貨幣経済が多くの庶民を圧迫し困窮せしめた世の状況ではなかったか。

フェミニズムは性差別、階級差別(経済格差)、民族=人種差別を3点セットで思考する。江戸の貨幣経済の抑圧性も、性愛の形の多様性と共に思考したい。

さらにまた、映画「西便制 風の丘を越えて」を見た時、同時にパンソリが義太夫と同種の芸能であることに驚いたばかりか、両者の比較研究のないことにいっそう驚かされた。

パンソリもそれまでは前近代のつまらぬ芸能と、韓国でも見なされていたようだった。日本の芸能は朝鮮や中国を見下していたからその研究から排除して来た。芸能研究の大御所たる折口信夫も、朝鮮語を学んでいたにも関わらず、朝鮮語にも朝鮮文化にも触れることはなかった。

近代の学問は「帝国大学」という呼称が明示する様に「帝国の学問」でしかなかった。悲しい不幸な学問の歴史だった。大学はその過ちを反省したろうか、寡聞にしてまだ聞いていないのも事実である。

こんなことを書いたのも「キム姉」のノートに刺激されたからだろうか。