『郷土から問う 歴史学と社会科教育』
「切ったら血が出るレジュメをつくれ!」
自らの問いで、調べ、足をつかって動き、考え、練り直し・・・先人たちによって積み上げられた「知識」に少しでもいいから自分言葉で語る。そういったオリジナリティの大切さを教えていただいた2年間でした。
この本は、恩師である伊藤純郎先生の退職記念論集です。書評は出版社や研究者から出されると思うので、ここでは思い出と後悔を記録にします。
(1)なんとなく残る後悔
純郎先生に師事した多くの学生や教員、研究者に執筆募集があったが・・・「書けなかった」ことに後悔が。それは、毎日行っている授業で、「血が出る」ような授業実践が出来ていないという恥ずかしさがあったから。パラパラと読みながら、「足もとから見つめ、足もとから問い直す」の理念を感じ、自分の「足もと」を見つめるきっかけにこのnoteを始めた。
(2)頭でっかちから抜け出す
院生時代、正直頭でっかちで「何を研究していたんだろう」、「何を学んでいたのだろう」と今は思う。変なプライドが先行していたな~とも。
それでもイレギュラーではあったが、先生とともに院生たちで韓国に巡検に行き、現地の高校生に授業をした機会があった。ただ、授業よりも思い出に残っているのは、「先生の歩くスピード」だった。
院に進学する前は、曲がりなりにも体育会に所属し、4年間部活に打ち込んだ。体力では負けるはずがない。でも、授業後の空いた時間での巡検(しかも夏場)で自分よりも遙かに速いスピードで歩く姿に圧倒された。
足で、自分の目で、耳で、ちゃんと「見る」。その価値を理解していたかどうかの差だったと今は思う。自分が生きてきた時間は、読めば大抵のことは「知る」ことができるし、検索すればもっと早く「知る」ことができる。けど、それでは足りないと言うことを、なぜあのとき考えなかったのか。
(3)足もとを見つめ直す。
論集が届く、それでnoteを始める。安直かもしれないが、きっと先生からの「何をやっているんだ、動け」、いわば「天啓」なんだろうなと思い込む。とりあえず、見たこと、感じたこと、考えたことを残していく。
恥ずかしいものだけど、育児を、仕事を言い訳にせず。
最後に、同期や後輩で論文を投稿した先生方、強すぎるくらい、いい刺激をくれてありがとう。