「私は自立系女子」に気づけるということ

「頑張ることをやめたいのに、頑張ることをやめられない」という人は多い。

私がよく発信している自立系女子などはその典型的な例だし、最近では自立系「男子」だという自覚がある方からもよくご相談をいただく。

昭和・平成的な価値観から言えば、そもそも男子も女子も「自立」しているのが当たり前で、「自立系女子・男子」などという表現は生まれようもなかった。

それはまるで、日本人が「味噌汁系の和朝食」と言ったり、タイ人が「ナンプラー系のガパオライス」と言ったり、スペイン人が「オリーブオイル系のアヒージョ」と言ったりするようなものだ。
例えの明瞭さはおいておき、それが自明のものとされているうちは、それは言語化に至らないのである。

「自立」だって同じだ。

きっと20年前に、誰かが「自立系女子」などという単語/表現を提唱したとして、理解されることはあれど共感されることはなかっただろう。(理解すらされなかったかもしれない。)

自立系女子という言葉が、一部の界隈でとは言え、これほどの市民権を得ることができたのは時代の後押しも大きいということだ……

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