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ことばたち(或るわたし)


序章


音楽であれ なんであれ
自らが気になること
好きな物事などを
研究すればするほど
一度や二度… (いや常にかな?)
必ず戦争に辿り着きます
これは 至上命題であり
(…いや? そんな難しいことばでも
何でもなく…)
自然とそこへ (底へ?)
流れ着きます

ここ数年から数ヶ月
ぼくの近くにいる
大切な人たちと対面やバーチャルを問わず
"会話" をしたとき
ぼくの頭に少しづつ 
残っていった ことばや感情たち

また

音楽を聴いた時 絵を 映画を…
詩を… あらゆるものに接した時に
湧いてくる名付けられない感情etc
(…こんな人生の余暇みたいな経験が
できるのは
とても恵まれた環境に生きられているから
ということも ふと思い出して)

それに
常に氾濫する"ニュース"や"SNS"などに
転がっている ことばたち

それら全部が ごちゃ混ぜになって

まるで 中学生のころモヤモヤした時に
何かの絵を描いてみたり
今よりも もっと若かったころに
紙にことばをひたすら何かを書いていたように

最近おぼろげながら
ずっと感じていたことが
ひとりで ふと金麦🍺を呑んでいた時に
突然 
まとまったことばになって流れ出してきました
(…どこに向かって流れ出たのかは 
知らないけれど…)

[…三十路直前であっても
ぼくは 未だに周りの方々のおかげで
成り立っている甘さを持った"こどな"なのです…(こどもと大人のあいだ)]

そのまとまった"ことばたち"を
果たして インターネットという 
この茫洋な海へ放流するべきか 
随分悩みました

けれど 何となく このことばたちは
大切なことの様な気がして

そして

点線よりも 下にある
この ことばの羅列は
文章なのか手紙なのか "ぽえむ"なのか
はたまた何なのか
なんと形容すれば良いのか分からないけれど

今のところ 音楽や歌詞
はたまた絵や詩として表現するには
まだまだぼくの力量が 全く足りず

しかし

今 不穏な情勢に傾く中で 
どんどん
生きづらく感じる この世の中であるからこそ
勢いに任せ
どこかに放流しておきたくなったので
どこかは知らない ここに残しておきます

(※宗教的なところが非常に多い!
と思うから、一応小声で言っておきますが
ぼくが育った中で、1番接していた宗教は
ふんわりと浄土真宗だと自覚しています。
信仰心はないが親鸞聖人は何となく好きです。)

ほい👇
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ねぇみんな なにかをどこかへ向けて
発信するとは
どういうことか 考えたことはあるかい?

過激なほど氾濫する情報の渦の中で
"わたしの大切な物事"や
"わたしの好きな物事"
"わたしの嫌いな物事"
はては
"わたしの今食べたいモノ"すら
ふと立ち止まって 整理もできないまま進む
激流の只中であっても

なにかをどこかへ向けて
発信するとは
どういうことか 考えたことはあるかい?

オレは "わたし"の中の
心に住まう この孤独の淋しさは何なのか
そして
人類共通の "ふるさと"を 
ほんとは 
みんな それぞれ探し求めているから
だと 思うんだ

オレだって
ことばを 地球全体に発せられるのかも?
という気に 昔は なったりしたことも
あったには あったが

結局は

"わたし"以外の
誰かが 発したことばや 何かを
何ひとつ 知ろうとしていないときの方が
多く

誰だって 
ふと自分にとっての"異質なもの"を
原始人だった時のように 
本能が排斥したがるときもあるのさ

けれど 

近しいキミよ 遠くで生きている キミよ

お互いに 何となく合わないなと
思い合ってしまっているオレやキミよ
(…なぜ不一致の一致はできるんだろうね…)

自らが 誰かにしてしまった
取り返しのつかないような"行動"や
発してしまった"ことば"によって
心や身体までも抉ってしまうように
傷つけた人々の顔を
また
自らが 大切に思う人の顔を 
いつでも鮮明に思い出せるように
すぐ思い浮かべられるように

オレやキミだって ほんとうは
遠くの"わたし"の顔を
それぞれ思い浮べてみることだって
できるはずなんだよ

オレのことは 夢想家と 楽天家と
なんでもいいや
"なんらかの形容" で呼ぶならば 
呼んでくれても良いよ

だけど

も少しだけ
オレは言いたい

パピルスの時代より ましてや
さらに遡った時代から"今" この瞬間まで
何度も何度も 過去に生きた"わたし"の
ことばを探し求めて 今を生きる 
オレやキミ

いや

未来人だって きっと今を生きる
オレやキミと 同じように 
過去を生きた"わたし"のことばを
探し求め続けているだろう

自らにとって はじめての"わたし"の生き方を
何だか なんにも分からないまま
ずっと オレやキミは手探りで
探し求めているのさ

だから
戦争でも殺人でも 何であろうと

誰かの命を 勝手に奪って
しまうことだけは
せめて
 そろそろ辞めにしようよ

(…あらゆる事故を避けようとする法なども
"わたし"が いや みんな
なるべく避けたいから
色々な中から生まれたのだ…)

自らが 誰かにしてしまった
取り返しのつかないような"行動"や
発してしまった"ことば"によって
心や身体までも抉ってしまうように
傷つけた人々の顔を
また
自らが 大切に思う人の顔を 
いつでも鮮明に思い出せるように
すぐ思い浮かべられるように

そのすべてを

いつでも鮮明に思い出せるように
すぐに思い出せるように

オレやキミだって ほんとうは
遠くの"わたし"の顔を
それぞれ思い浮べてみることだって
できるはずなんだよ

"わたし"が この世に生きている限り
まして 肉体が滅んだって 
人は 存在する限り
どうあがいたって
常に偽善だぜ 虚仮不実の

誰かにとっての善は 
誰かにとっての偽モノでもあり
また
誰かの偽善によって 
誰かが救われることだって きっとあるのさ

けれど "わたしだけの"または"我々の"
善を目指して
誰かを無碍に傷つけ殺して
紡がれるはずであった
"わたし"の歴史までも
抹消しようとするのだけは
せめて
 そろそろ辞めにしようよ

未来人の或る"わたし"にさえも
見つけてもらえなくなっちゃうよ

だからさ
誰かの命を 勝手に奪って
しまうことだけは
せめて
 そろそろ辞めにしようよ

そうだよ ねぇ? みんな

追伸 :

山之口貘さんが"貘"や"船"の中で
"未来人"の"わたし" たちにも
ことばを投げかけて
言ってくれていたように


悪夢はバクに食わせろと…中略…
ところがその夜ぼくは夢を見た
飢えた大きなバクがのっそりあらわれて
この世に悪夢があったとばかりに
原子爆弾をぺろっと食ってしまい
水素爆弾をぺろっと食ったかとおもうと
ぱっと地球が明るくなったのだ ]


文明諸君
地球ののっかる
船をひとつ
なんとか発明できないことはないだろう
すったもんだのこの世の中から
地球をどこかへ
さらって行きたいじゃないか ]

貘さんへ :

貘さーん、ほんとにごめんなさい!
あなたがとっても大切にしているあなたの詩を
しかも、あろうことか"貘"に至っては
中略して勝手にぼくの文章?手紙?ぽえむ?
の最後に載せちゃったりして…

あとね、貘さん 
ミミコさんが言っていたみたいに
あなたにとって 時間は 
やっぱり無限に自分のものだったのですね。

推敲に推敲を重ねた
その宇宙をも飛び越えてゆきそうな 
あなたの詩の数々…

その中から二篇だけ僭越ながらスマートフォンでポチポチと転記していたら ふと ある事に気がつき鳥肌が立ってしまいました。

あなたの詩は、
横書きで  そのことばの数々を並べ直しても
一寸の狂いもなく 厳然と美しく並んでいて
縦書きと まったく同じように読めるのです。

これは偶然ではなく あなたが苦心しつつも
推敲を重ねているときに
ふらっと "現代" にもやって来て
或る"わたし"が スマホで"ことば"を
打っているところを
チラッと覗いてみたり なんかしちゃって
あなたの詩が 横書きで表示されることの
あることも 知っていたんでしょうね。

そんな気がします。

いつかお会いできたときには、
池袋の"おもろ"か、ぼくの地元近くにある
"より道"に行って
貘さんおすすめの泡盛や料理を食べながら
お話ししたいです。

(…これを読んでくれている みんな!!
思潮社の現代詩文庫の"山之口貘詩集"でも
買ってちゃんと読んでみてください。…)

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みんな んなまたね
いつか すぐ会えるでしょう

最後までお付き合いありがとう

2023.1.16

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