’21/6/2 業務内容以上の指導はするべきか?
自身の言語化能力のトレーニングとして思いついたことをNOTEで執筆していくトライをしてます(落合さんとか最近見た外資系コンサルの方のアメブロを見て、やっぱり広告抜きのブログっておもろいなと思ったことが理由)。
簡単な自己紹介だけ先にしておくと、メーカーで働いている他の人よりも少しだけ日本の将来と日本の製造業の発展を強く願っているただのサラリーマンです。
今日は、部下があまり仕事できないなぁと感じた時に、業務内容以上の指導をすべきかと言う話。
働いている中で、30歳を超えて、何人かの部下や同僚とともにチームをリードしながらプロジェクトを回すなんて機会が増えてきました。
新しくきたメンバーや若手の子への業務的な指導を行うことは日常茶飯事なのですが、業務を進める中で「主体性」や「当事者意識」だったり、「仕事への向き合い方」が不足しているなぁと感じる機会が多いと感じるようになってきました。
そんな時いつも考えるのが、こういったマインドセット的な考え方への指導が必要なのか?と言うことです。これは、正直なところ業務内容以上の指導を行う際にはハラスメントのリスクが高いと思っています。
私の職場でも、明らかに仕事ができない後輩と私の上司が毎日ハラスメントギリギリでやり合っている状態です。
この後輩は穏やかな性格ではあるものの、瞬発力が低く、一度考えを持ち帰って整理しないと意図を理解ができず、言語化能力も乏しいです。結果的に、なかなか主体的な仕事の仕方にならず、上司の指示もうまくこなせない状況にあります。
上司の方はというと、かなり厳しい人で完璧主義なので、細かいミスや失敗を許容することを苦手するため、なかなか仕事を他人に任せられない。
この2人が会い見えると、後輩に対する上司の厳しいマインドセット的な指導が入るわけですが、日々うまくいかないため、「なぜ?」「どうやったら?」と言う議論になり、イマイチ効果的ではない指導となり残念な結果となっています。
こういったやりとりを見ていて個人的には思うことは「能動的な行動からしか主体性は生まれない」ということ。
つまりこの記事の結論としては業務内容以上の指導はやってもムダということですね。
どういうことかと言うと、どんなに他人からアドバイスをもらったとしても、それを自分なりの解釈で認知し、解釈の通りに実行することで初めて経験値としてカウントされます。逆にできなければ経験値は0です。
一見、行動さえすればアドバイスは意味があるじゃないかと思うかもしれませんが、1日にアドバイスを聞いて実行に移せる事柄なんてせいぜい1個です。ヘタをすると機会がなければ1週間経っても行動に移せません。そんな状況でシャワーのようなアドバイス的指導をしたところで全部垂れ流しになるわけです。
むしろ、人は誰の助けもない状態に放り込まれた時、その状況や環境に能動的に適応しようとします。この時に最も成長するのです。
つまり、上司が指導しているうちは部下は育っていきません。むしろ、上司も先輩もポンコツで全く援助が得られないような状況の方が部下がよく育ちます。
かくいう私も、10人以上の上司を持ってきたわけですが、ほぼ上司が干渉せずいい意味で放任してくれたことで、なんとか適応しようと必死になり、失敗しながら軌道修正をして勝ちパターンを探してきました。これが結果的に成長につながったと感じています。
先日のAIシンポジウムの記事(こちら)でも紹介した「運動主体性」を能動的な行動により醸成するような仕事の任せ方をしつつ、本人が気づかないところで補助的な立ち回りをすることが部下に対する指導としては適切なのではないか、というのが最近の結論です。
私もまだペーペーなプロジェクトエンジニアなので、これが今見えている世界なだけかもしれませんので、意見があれば教えてください。
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