宮沢根白石線@舟丁・南鍛冶町('23 03/23)
今日開通した、宮沢根白石線(南鍛冶町・舟丁工区)を見に行ってきました。
区間は連坊駅西側〜河原町駅までの約1km。これまではJR東北本線によって隔てられており、仙台駅東口エリア(連坊・新寺など)と長町を移動するためには仙台駅西口 - 五橋 - 昭和市電通 (もしくは越路) という遠回りをする必要がありました。
今回の開通によって、仙台駅東駅エリアと長町エリアの車による行き来がしやすくなりそうです。
開通後の通行形態については仙台市建設局からお知らせが出ています。
特に歩行者用側道は途中で階段に代わっているので、自転車で通行する方は注意が必要です。
約27年越しの実現
今回開通した区間の事業自体は、1996年度から開始されました。
ですが、このエリアはもともと昔ながらの住宅地。また仙䑓城下以来の歴史を持つ街でもあります。そのため住民に対する説明や、用地取得に時間がかかったとのことです。
再び分断された「七郷堀」
このエリアは仙䑓城下の南東の端にあたり、寺町(現在の新寺・連坊)や職人町(現在の南鍛冶町一帯)が広がっていました。
伊達政宗の隠居場所であった若林城築城以降に、奥州街道を取り巻く形で形成された職人町。そこを東西に貫く「七郷堀」があります。
広瀬川にある「愛宕堰」から水を得て、現在の若林区に広がる田畑に膨大の水を供給していた「七郷堀」ですが、その上流部(?)にはその水を利用した産業が隆興しました。その名残が「舟丁」「南染師町」などに残っています。
そんな「七郷堀」ですが,今回開通した宮沢根白石線によって分断されることになりました。
明治24年ごろの東北本線開業に伴って南染師町を東西に分ける形で一度分断されていましたが、今度はそれよりも西側の舟丁を真っ二つに分ける形で分断されます。
交通の利便線が向上する一方で、消えていく街並みがあります。
形はなくなっても、昔ながらの街並みが誰かの記憶に残り続けることを願っています。