ただ野口2
昨日、友人に「君はめんどくさい人」と言われた
薄々、自覚はあったんだけれど、面と向かって始めて言われた
小学校からの知り合いだった人に言われた
「めんどくさい人」とネットで検索すると、
・ネガティブ思考な人
・すぐ機嫌が悪くなる人
・しつこい人
・話が長い人
などという条件が出てくる
そして、こうも書いてある
「めんどくさい人とは関わらずに距離を取りましょう」
って
ショックだよねぇ…
自分もめんどくさい人は苦手だけれど、自分がそこに当てはまるのだとしたら(当てはまるんだと思う)ものすごく悲しいことだ
私がこの世で一番恐れていることは「人にめんどくさい人と思われること」だから、その一番恐れていることが現実になっているんだって分かった
正直なところ、自分が自分をめんどくさい人と思っているから、
そういうめんどくさい人の周りからは人が離れていくから、
人が離れていくことを極端に怖がるから、
だから「めんどくさい人」と思われることがものすごく怖くなっているんだと思う
卵が先か鶏が先か、卵が先かみたいな話になってる
昨日言ってきた友人はかなり無神経なところもある、今まで何度もイラッとさせられてきた
そういうイラッとすることが向こうは冗談のつもりだけど、私にはその冗談が通じないからイラッとする、そのイラッとすることがめんどくさい、いちいち機嫌悪くなるのがめんどくさいんだろうなぁって思っている
つーか、これ書いてて少し理不尽にも思えてきた昨日の発言が
そんなん失礼なことを無神経に言うほうが悪いじゃないかって、いくら冗談のつもりでも、言うほうが悪いじゃないかって思ってきた
いや、いかんいかん、一旦は自分でも自分をめんどくさいと思っているフシがあるんだから、この意見はきちんと自分なりに受け止めて対処していかないといけない
しかし、それを言った友人は自分と中学校までしか一緒ではないし、社会人になってからの自分とはたまに会うくらいの頻度だから、「めんどくさい」と定義しているのは、昔の自分である可能性が高い
自分は一生懸命めんどくさい人にならないように社会人になって生きてきたから、少しはめんどくさくなくなっている気もする
けど、その取組が逆に自分を苦しめて辛くなっているんだけどね、人の目を気にして評価を気にして、他人にどう思われているかを逐一気にしてしまって
そして結局ネガティブ発言につながったり、ネガティブ思考につながったり、機嫌の起伏につながったりするんだよねぇ…
元がめんどくさいんだからそれを隠そうとしたら消耗しちゃうよねって話
本当の自分を知ったら、みんな自分のことをめんどくさいと思って、離れていっちゃうんだろうなぁって思っている
現にネットに「そういう人とは離れましょう」って書いてあるし
それが一番怖いんだけどなぁ
人に好かれるなんてまず難しい
人に好かれたら逆に儲けもんだし、そう思ってくれる人がいたら全力で大切にしていかないといけない
他人がどう思っているかなんてマジで関係ない、だってその感情は私にはどうすることもできないから
いくら努力をして、めんどくさいと思われないように動いたとしても、めんどくさいかどうか判断するのは向こう側に決定権があるんだから、私にはどうすることもできない
そのことを肝に銘じておきたい
いろんな本を読んで、どの本にも他人との線引の話はよくでてくる、頭では理解しているんだ
けど、実際に人と接するとなると、頭で理解していても心が言うことを聞いてくれないんだ
難しいよなぁ
っていっつも思う
やっぱり自分を否定しないで、「めんどくさい自分」もすべて受け入れて、自分のそのままの姿に抗わないよに自然体で生きていく方がいいんだろうな
自分にはまだそれはできないけど
いつか、そういう生き方、できると良いなぁ…。
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