ほんとの気持ち、ほんとのこと。
情けなくて嫌な思い出。
自分の心がしんどすぎて、なんとかしたいけど何からどうすればいいかわからなくて、救いを求めて変なセミナーみたいなのに行ったりしまくってる時に、親からめちゃくちゃお金を借りてた。
事情をうまく説明できなくて(心を打ち明けての相談なんか、親には出来なかったから)
ただ『やりたいことがある、興味・関心のあることがある』体でお金をせびってたら
「お前は金の無心ばかり!」
と父に電話口で言われて、ずっと我慢して堪えていたものが爆発しちゃって、
自分でもよくわからない言葉を叫んで、父が「あ、これはまずい」と気づいた様子でわたしを落ち着かせようと名前を呼ぶのも無視して電話を切って泣いたことがある。
ほんとは、ほんとは、ほんとはね、
お金じゃないんだよ、欲しかったのは。
お金じゃなくて、ずっとずっと、わたしは愛情が欲しかった。
優しくして欲しかった。
気にかけて欲しかった。
温かい言葉をかけて欲しかった。
心配して欲しかった。
どんな調子?どんな様子?
無理してないか?
大丈夫か?
出来ることあるか?
そんなふうに声をかけたりして欲しかった。
優しく接して欲しかった。
穏やかに、落ち着いた、柔らかい口調と態度で。
だけどそんなこと、口が裂けても言えなかった。
そんなタイプの人じゃないのわかってたし、
わたしも、そんなこと素直に言える子じゃなかった。
ましてや、「愛して欲しい」なんて、抽象的で、正解がわかんなくて、何をすればいいかわかんないでしょ。
「お金くれ」の方が、わかりやすいでしょ。
そんなの、すごく残念で、ぶっきらぼうで、不器用なこと、わかってたよ。
バツも悪いし、居心地悪いし、いいことしてるなんて微塵も思っていなかった。
だけど、昔から、わたしの話を聴いてくれないのも、共感や理解を示してくれないのも、寄り添ってくれないのも、もうずっとずっとずっと前からわかっていたし、とっくの昔に、諦めてたから。
自分の話ばっかりで。
正しいことや優れてることの押し付けばかりで。
機嫌が悪いとすぐそれを撒き散らして。
そんな父が嫌いだった。
幼い頃は怖かった。
そのうち憎くなってった。
そんでもう、「分かってくれないんだ」ってことが、わかった。それを学習してしまった。
だから、もういいから、情緒的なことは伝わんないって分かったから、だからせめて、「親の役目」で、『お金の援助』だけ、してくれればいいって。
でもほんとは、ほんとは、ずっと、「愛されたかった」。
「大事にされてる」「思われている」
そう感じたかった。心の底から。親の愛を信じてみたかった。それだけでした。
そんなわたしを、やっと言葉にできたのでした。