母親に、「私って愛されて育った?」って聞いたことで目が覚めた
1年ちょっと前、
私が、今なお、私である理由
(=人と深い関係を結べない原因)を必死で探してた。
コーチングを受け、アダルトチルドレン(AC)を疑い、遂にアタッチメント(愛着)に辿り着いた。
愛着が上手く形成されなかったからだと思った私は、
お昼休み、横断歩道を渡りながら母に電話した。
冗談みたいな質問を、
大真面目にど直球で投げかけた。
私『私って愛されて育った?』
母は、突然の不可解な質問に、また変なことを言い出したと感じながらも答えてくれた。
母『当たり前やん、それはそれは可愛くて仕方なかった』
更に
私『抱っことかしてもらってた?』
母『当たり前やん、してたしてた』
ここまで聞いて、ようやく私は、
ハタッ。。と目が覚めた。
母は、そもそも子どもが好きなのだ。よその子にも話しかけ、物をあげるような人なのだ。
そんな母が、自分の子どもを可愛がらないハズがないと。
母は、じっとしていられない性分でほとんど家に居ない。
衝動で行動する。
しなきゃいけないに捕らわれて常に動いている。
仕事も家事も抱えて忙しい人だった。
多くの時間を、母方の祖母の家に預けられ奔放に過ごした私は、
母は、自分の事でいっぱいで、私は放ったらかしに育った。
母は、私の話は全然聞いてくれない。興味が無いんだ。
と思い込んでいただけだった。
ということに気づいた。
そしたら、
アトピー性皮膚炎を持った私を心配してくれた事
聴力に難のある私を何度も病院に連れて行ってくれた事
仕事先に私を連れて行ってくれた事
お友達とのおしゃべりに連れて行ってくれた事
夏休みに溜めた宿題を一緒にやってくれた事
色んな記憶が、蘇ってきた。
決して忘れてた記憶じゃないけど、
“愛されて育った”記憶として、再生された。
長く長く、“ナニカ”を過去に求めていた私が本当に解放された時だった。
憑き物がとれた。正にそんな感覚。
目の前が明るくなって、自分自身や世界の見え方・感じ方が変わった時だった。
人がどれほど解釈の世界に生きているか、
どれほど思い込みに縛られているか、
過去に原因を求める無意味さに気づいた。
だからそれ以降、
自分が持つ思い込みに丁寧に向き合うようにした。
出逢った人が思い込みで苦しんでいたら、
思い込みだよって気づいてほしい。
特別なものは何もいらなくて、
ただ大切に抱えている
思込みって気づいていない思込みを手放すだけで、
世界は変わるんだから。
こんな素敵な事はないと思う。
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