死にたい人へ
若い頃は、『死にたい人は死ねばいい』『死ぬなら戦争の最前線行ってこい』とか思っていたけれど…
角膜とか臓器提供出来るように飛び降りは止めて『キレイに死んどけ』とか暴言を吐いていたけど…
年と共に、優しくなりました。
その人にしかわからない辛さがあるんだろうなと。
死にたくなったら、一曲書いてからにしましょう♪
絶望感たっぷりの曲を書け、と言われたら、私はすぐにでも書けます。
でも、悲しみの中に留まったりはしない。
そこから動けなくなって、何も出来なくなるキャラではないのです。
転んでも只では起きません。
きっと多くの死にたい人は、手足をもぎ取られたように動けなくなってしまっているのかもしれません。
外の世界は、自分を傷つける敵しかいないかもしれません。
そんなときは、のんびり歌でも歌いましょう。
絶望感満載の体験なら、私も、身をもってたっぷり味わっています。
でも私には、いつも、いつでも、音楽がありました。
傍らにいつも音楽が寄り添ってくれました。
だから、一人であっても孤独ではありません。
作品は創るけれど、
『絶望感に陶酔はしない』
むしろ絶望感すら栄養にして、ネタとして100曲書いてやるわい!くらいに思っています。
絶望感にどっぷり浸かっていたほうが、ホントは安全なのかもしれません。
新しくチャレンジしていくほうが、障壁にぶち当たる確率は上がります。
知らない道を進み、突如現れた壁をよじ登っても、あと一歩の所で突き落とされるかもしれない。
今まで、友人の何人かが自殺しました。
なんとなく兆候もあったのですが、ショックというよりも、残念という気持ちでした。
とある男性は、ドラマーとしてとても才能がありましたが、性同一性障害で、色々な悩みを抱え、苦しんだ末に、女性となって自ら死を選びました。
元々、精神障害があって普通に働けず、いつも他人と比較したり、口を開けば親の悪口ばかり。
『家に誰かが入り込んでくる』と言って、自宅のドアには、たくさんの鍵がついていました。
もう一人の人もそう。
過去にこだわり、なかなか未来に向けない人でした。
それでも二人とも、私の音楽のよき理解者であり、協力者でもありました。
自分が嫌い。
親が嫌い。
過去も嫌い。
死にたい人は、自分自身を好きではない人が多い。
私は、生命を目一杯楽しみたいんです。
楽しむために生まれたのだから、悲劇のヒロインにはなれません。
だから、何度でも言う。
死にたい人へ。
『人生の集大成として、自分の歌を創ってみよう!』
人生、楽しんでから死んでみよう!
そこからでも遅くはない。
おっと、その前に軽く鼻歌でも歌ってみるか。
地球に生まれることはとても稀で、その中でも日本で生まれることは相当ラッキーなことらしい。
生まれた瞬間から、実は相当運がいいようだ。
幸せは自分で創ればいいじゃない?
応援しています💓
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