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『時のざわめき』オシップ・E・マンデリシュターム 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

『時のざわめき』は、過去についての物語である。過去はもはや存在しない。しかし記憶のなかに絶えず甦ることによって、それは具体性にみち、なんらかの形で時代を象徴した人びとや物たちの痛いほど鮮やかな幻想に充ちている。演奏会の熱狂、革命の個人教授、皮の臭いと《急がば廻れ》の題銘を刻みこんだ肘掛椅子のあるユダヤ人のアパルトマン、練兵場の軍隊パレード、エス・エルのシナーニ一家……。『時のざわめき』においてマンデリシュタームは、彼を苦しめていた問題への答えを探し求めた。ことに最大の問い、それは、目の前にある現実との隔絶が果たしてどこからきたのかという問いだった……。
紹介文より

ソビエトの闇に深く閉じ込められ、不当で非業の死を遂げたオシップ・E・マンデリシュターム。彼の残した、残すことができた僅かな作品の一つである『時のざわめき』です。

マンデリシュタームは1891年、ワルシャワのユダヤ人中流貴族の元に生まれ、パブロフスクで青春期を過ごしました。彼は「家庭を取巻くユダヤ世界」とすぐ間近に存在する「ペテルブルクの燦然と輝く世界」の狭間で生き、培われた精神は破壊的な詩人として成長していきます。帝政ロシアの敷くプロパガンダに最も影響された華やかなペテルブルクは、「五〇パーセントの文盲にある大衆」の集まりとして象徴化され、奇妙に靄のかかった美しいヴェールのように存在していました。その混沌に向けた攻撃的な詩は、いずれ彼自身の身を危険に晒すことに繋がっていきます。

彼が生きた時代はロシア文学史において最も偉大な詩人たちを輩出した時代です。「銀の時代」(1905頃-1920頃)と呼ばれ、詩だけでなくロシアにおける芸術(絵画、彫刻、演劇、活写など)全般における大きな運動による影響を指します。これらの大きな流れを「ロシア・アヴァンギャルド」と括りますが、共通して言えることは「国家による検閲の廃止」です。
1905年の「血の日曜日」(日露戦争中止を訴えた国民が軍に射殺された事件)を発端にロシアの革命が進みます。教会を担いだ労働者と国家の諍いは、社会革命党(エス・エル)をはじめとする社会主義者たちを追いやり、ニコライ二世の「十月宣言」で、国家はソビエトへ形成されていきます。

日露戦争の敗戦によるネガティブな風潮に、大衆は疲れきっていました。それまでの文学は「リアリズム」に傾倒しており、描けば描くほど重く苦しい表現となり、民衆から賞賛の声は受けられない時代でした。ここに検閲廃止が相まって文芸風潮は「リアリズムへの反抗」が共通するテーマとなり、文芸評論が活性化し、「ロシア・フォルマリズム」という文学批評一派を作り出しました。この文学運動が「銀の時代」の前の世代、所謂「黄金期」と呼ばれる、アレクサンドル・プーシキン、ミハイル・レールモントフ、レフ・トルストイ、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフなどの作品から読み取る詩的表現や文芸構造を研究するに至ります。
しかし検閲廃止による文芸の自由は「文芸の商業化」を促進し、印税や原稿料を高騰させ、作家を「儲かる商売」へと変貌させていきました。そして読者層は貴族階級から大衆へと変化していきます。宗教哲学者のセルゲイ・ブルガーコフは、「ロシア文学は、ポルノグラフィーとセンセーショナルな出版物の濁流によって洗われている」と嘆きます。これを良しと捉え利用したのが「国家」でした。作家たちを待遇良く囲い込み、国の求める思想の植え付けを大衆に向けて行うため、文学をプロパガンダとして使用します。

それに対する反抗的な態度を示したのが「詩人たち」でした。彼らは命がけで活動します。活動には組織が形成され、それぞれの芸術性に合わせた「流派」が存在しました。詩人たちは自己の思想に変化が起こった場合、流派を超えて交流し、または流派を移り活動します。
最も代表的な流派は「銀の時代」を切り開いた代表作『十二』を書いたアレクサンドル・ブローク率いる「シンボリズム」(象徴派)です。国家によって「失墜させられたロシア文学の復興」を理念に、作家の主観的な創造性や文芸美的精神の回復を目指しました。
また、「イマジニズム」(映像主義)という新しい自由を目指す流派がありました。モラルが欠如し、皮肉や嘲笑を誘う「シニシズム」(冷笑主義)の集団です。これはロシア文学における言語が退廃した、と捉えて世に出ている主義の無意味性、無論理性を問い続けた流派です。
そして、マンデリシュタームの所属していた「アクメイズム」という流派です。これは上記のシンボリズムに対抗する主義で、「銀の時代後期」に突出した少数流派です。当時のシンボリズム運動はピークに至り、象徴主義本来の「作家と読者」の関係性が無視されているといった主張です。「つねに未知のものに目を注ぐとはいえ、推測による、あの堕落したイメージを用いずに注目すること、これがアクメイズムの教義である」と所属するセルゲイ・ゴロデツキーは訴えています。つまり、シンボリズムの象徴性は無根拠で推測、もしくは願望を吐き出しているだけで、民衆や情勢を「メタフィジカル」に見ることができていない、と攻撃しています。

これらの文芸運動が大衆の求める「リアリズムへの反抗」に適し、大いに受け入れられます。民衆は「詩的表現」或いは「隠喩表現」を求め、それらを喝采します。ただし、これらはスターリン批判に繋がり、次々に粛清の対象となっていきます。本書の作者であるマンデリシュタームもその一人でした。スターリン体制が堅固になるにつれ、「詩人たちの声」は消滅させられていきます。こうして「銀の時代」は終焉します。

マンデリシュターム マグショット

マンデリシュタームは、ロシア雪解けの時代が始まった1960年代にも粛清されたまま、ロシア国内でも出版物を見受けられることがありませんでした。(欧米では雪解け直後に知れ渡ります。)スターリン批判の内容が当時の主政策であった「農奴解放」に関わる揶揄であったことと推測はされますが、かなり厳しい扱いでした。しかし、全世界的に名誉回復を図るきっかけが起こります。1970年と1972年に、未亡人ナジェージダ・マンデリシュタームによる二冊の「回想記」が出版されたことです。彼女は夫の作品を守り通すことを唯ひとつの念願として、スターリン時代を生き抜きました。マンデリシュターム逮捕の日から獄中における死までを、全ロシア人はようやく理解し、追悼しました。

本書『時のざわめき』は、マンデリシュタームが体感した多くの「時代の動き」の動き出した兆候、大衆への影響を「詩的散文」で描き連ねています。

わたしの願いは、自分のことを語るのではなく、時代のあとを辿り、時のざわめきとその芽ぶきを辿ることだ。

たまたま私の手元にある書は、1976年に来日した夫人の署名が入ったものです。

「希み」とはロシア語で Nadezjda であり、ほかならぬ夫人自身の名前である。この二冊の回想記の出現によって、マンデリシュタームの生涯と作品がわたしたちに問いかける意味は、いっそう深く、重たいものになったのだった。

訳者の安井侑子さんの言葉です。

ロシア文学冬の時代を、マンデリシュタームはこう説いています。

そしてこのロシア史の冬の時代にあって、文学全体は、どこか尊大で、わたしを惑わせるものに思われる。胸をおののかせながら、わたしは、作家の毛皮帽の上にかぶさる蝋引き紙の薄いヴェールをそっと持ち上げる。誰の罪でもなければ、何ひとつ恥じることはないのだ。獣は、おのれのふっくらしたした毛皮を恥じてはならない。夜が獣を、毛皮でくるんだのだ。冬が獣を、装わせたのだ。文学はーー獣。毛皮匠はーー夜と冬だ。

今回紹介した『時のざわめき』は入手が困難かもしれません。ですが、マンデリシュタームの作品にはぜひ触れていただき、彼の熱意や苦悩を感じ取ってほしいと思っています。ご機会があれば、ぜひ。
では。


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