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『オンディーヌ』ジャン・ジロドゥ 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

舞台は遠の昔から神秘な伝説を秘めるドイツの森林地帯。近くに幽邃な湖をひかえた老漁夫オーギュストと老妻ユウジェニイの住む小屋。彼らの養女オンディーヌは水の精霊である。そこへ人間界から一人の訪問者、騎士ハンスが訪れる。彼はこの世に《陳腐でないもの、日常的でないもの、すり減っていないもの》を探し求めているが、オンディーヌに会って、遂にそれを探しあてたと思う。
紹介文より

浅利慶太さんが劇団四季の運営を離れ「浅利演出事務所」として始動した初めの作品、現代フランス演劇を代表する劇作家ジャン・ジロドゥ(1882-1944)の『オンディーヌ』です。

十九世紀末より近代リアリズム演劇から脱却しようとする演劇界の動き「反近代演劇」の風潮が生まれ、第一次世界大戦争を経て多種多様な思想を含んだ演劇表現が世に登場します。象徴派、構成派、詩劇派、叙事派など、劇作家の持つそれぞれの芸術性に適した形を取った幅広い演劇作品が新しい時代として定着していきます。

これらの反写実的近代劇の目標は、「第四の壁」の幻影舞台による人生の再現 representation ではもはや表現できない、人生の奥深くひそむ意識の陰影や、意識下の矛盾懊悩、現実的実在の底にある魂の交感などを「表現」し、観客のそれらの感覚に直接訴えかけることであった。
『演劇概論』

こうした反近代演劇牽引者の一人として代表的な人物としてジャック・コポーが挙げられます。反リアリズム的な「詩」「幻想」に重きを置き、劇団主催者としてフランス現代演劇を開拓していきます。その門下として存在していたのがジャン・ジロドゥでした。

ジロドゥは「フランスの知性」と称される敏腕外交官でした。その言葉通りに、機智に富んだ神経質な文体と、演出家に挑むような空想力溢れる劇的情景は、現実からかけ離れた独創的な幻想世界を作り上げて読者を閉じ込めてしまいます。

『オンディーヌ』が上演された1939年、ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦争が起こります。外交官であったジロドゥはダラディエ首相の任命により軍の情報局長官となり、ラジオでの啓蒙活動にてナチスを糾弾します。しかし、ダラディエ内閣が崩壊したことに合わせてジロドゥもこの職から解任されます。そしてパリを始めフランスをドイツ軍が占拠し、強制的な休戦協定を結びヴィシー・フランスが発足します。フランス第三共和政の崩壊の中心にいたジロドゥは、本書に収められている『ソドムとゴモラ』を執筆しました。そこには暗い失意に満ちた孤独な苦悩が旧約聖書創世記の「世界の終わり」に擬えられ、人間の根源にある不信を強調して描かれています。1943年に初演されましたが、その三ヶ月後に世を去ります。
パリでの『オンディーヌ』公演を始め、ジロドゥ作品の演出を数多く手掛けたルイ・ジュヴェはこのように語っています。

我が生涯にジロドゥを上演したこと以外に誇るべきものがなにもないとしても十分満足に感じる
ジュヴェ『演劇論』

本作『オンディーヌ』は、ドイツ初期ロマン派作家フリードリヒ・フーケが1811年に書いた『ウンディーネ』を基にしています。フーケはドイツ軍人でしたが、遠征先の若い身分の低い娘と恋に落ち、婚姻しました。しかしながら、周囲を含め身分の違いによる価値観の相違から離縁します。この自身の経験を含め、格差社会における揶揄を異種間による社会の差として描き、幻想的な苦悩の物語を作り上げました。

ジロドゥは『オンディーヌ』で人間社会の美醜を描きました。歯に衣着せぬオンディーヌの純粋無垢で直截的な感情表現は濁りのない清らかな心の表れであり、本能に従う純心そのものという印象を受けます。しかし相手であるハンス、或いは恋敵のベルタは保身、野心、猜疑、傲慢などが溢れる言動で、場面を追うごとにオンディーヌの清心と対比され、醜く描写されていきます。
唯一とも言える良心を持った王妃と対話する場面では、オンディーヌの考えや想いが徐々に読者へ伝えられて、その清い心で読み手の胸を締め付けてきます。

そんなことありません。忘れたり、考えを変えたり、許したりできるこの人間の世界って、宇宙の中で、ほんの小さな部分に過ぎないんだわ。あたしたちの世界では、……野獣やとねりこや毛虫の世界でもそうですけど、諦めたり許したりすることもないんです。

幻想的な世界での「愛」をテーマにした物語。悲劇であるはずの最期に、なぜか安堵が滲む不思議な読後感をぜひ体感してみてください。
では。


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