『毒の園』フョードル・ソログープ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
ロシアと日本の両帝国主義が衝突した日露戦争は1904年に勃発し、両国民に不安と不満を与える激しい戦いとなりました。フランスやドイツの支援を受けたロシアと、アメリカやイギリスの支援を受けた日本は、両国の持つ規模を超えて世界的な広範の争いへと発展します。徐々に劣勢となるロシアの国内では軍需や食糧を確保するために、国民へ貧困と労働を与え、苦しく疲弊した生活を強制しました。これによって生まれた反帝政感情を、聖職者ガポン司祭が導き、帝政の中心地ペテルブルクで大きな労働運動を起こします。軍需優先で入手が困難であったこともあり、十万人を超える民衆は武装をせずに平和的訴えとして各所を大規模に練り歩きました。武装した軍はこれを制するために取り巻きますが行動は止まらず、遂には武力行使に及び街中を血で染める惨劇となりました。この「血の日曜日」事件に見られる国内の反発、また劣勢を続け各地で敗戦を喫した国外との争いによって、ロシアは実質的に日露戦争に敗れました。「血の日曜日」によって生まれた反帝政(反ツァーリズム)は、国会の設置や改革などを起こす第一次ロシア革命の引き金となりました。
この時期を幕開けとするロシア文学の「銀の時代」は、それまでのロシア詩を支えていたアレクサンドル・プーシキンに挙げられる自然主義やリアリズムの流れを汲む作風に大きな変化を与えた潮流です。日露戦争、その後の第一次世界大戦争、または革命など、国家を覆う重苦しい空気をリアリズムで描いた作品群は、国民の心までも重くさせていきました。何かしらの新たなイメージ、詩のイデーが潜在的に求められていたなか、隠喩的表現の「象徴主義」(シンボリズム)が生まれます。現実を写実するのではなく、感情を写実しようとする試みは、心や夢を作品へ「シンボリック」に映し出すことを叶えました。これらのシンボリスト(象徴主義者)は、観念論あるいは哲学論を根底に置き、「象徴」(シンボル)を用いて新たな作風を構築します。この前衛的シンボリストの第一世代は、ドミトリー・メレジコフスキー、ワレリー・ブリューソフなどが挙げられ、フョードル・ソログープ(1863-1927)もその一人に数えられます。象徴表現は純粋な芸術性に魅せられ、大胆な技法と強烈な印象を持って、多くの美しい詩作を作り上げました。
特にソログープは象徴派の代表的詩人であると同時に、デカダン(退廃主義)な思想を持って執筆していたことでも知られています。彼の作品には観念的ななかにも現実性を垣間見せ、そこに事実と空想とが互いに絡み合う独特の世界を構築しています。ここで表現される現実性は非常にネガティヴな意味合いであり、「生きづらく醜い現実世界」という見え方を持っています。そして、そこからの解放の行く先が「退廃」世界、もしくは死の世界、もっと言えば「美しき死」へと繋がっています。醜い現実社会に執着する生もやはり醜く、美を持った死こそ得るべき、辿り着くべきものであるという思想さえ感じさせられます。しかし、これほど人間の病的心理を拡大し、人生の悲痛を強調していながらも、作品から受ける印象はお伽話のような軽妙さを持っています。ここにこそソログープの作風の特異性とも言える象徴「創造された伝説」の効果が現れています。「美しき死」を肯定させる詩的余韻は、作品に軽妙さを与える創造性(伝説や寓話のような印象)を与える必要がありました。
ソログープの芸術性の根源には「極度の厭世主義」というものが潜んでいます。彼自身、幼少期に虐待に近い折檻を受け続けてサディスティックとマゾヒスティックの境界が曖昧になるような極端なコンプレックスを抱きました。彼が見る現実社会は独特のレンズを通して、より凄惨に、より醜悪に映り、「苦しみの生」という価値観を鮮明にしていきます。暗く澱み、悲痛に溢れた醜悪な現実社会のどこに美しさを見出せば良いのか。まるで現実から逃れるように思考した末、伝説を「創造する」という手法に辿り着きました。現実に嫌悪するほどに「死」が美化されるという反復で、彼のなかには唯一の真実「美しき死の礼賛」が陶酔を持って根付いていきました。
本作『毒の園』は「美しき死の礼賛」が顕著に描かれた作品です。この作品には二つの底本があり、その一つがナサニエル・ホーソーンの『ラパチーニの娘(Rappaccini's Daughieri)』(1844)です。ともに筋書きが同様でありながらも結末に大きな相違があり、そこから与える印象は大きな隔たりを見せています。下宿にやってきた若い青年は、窓から見える美しくも禍々しい花園に魅了されます。この園を作り上げた科学者は医学の権威であり、独自の製法で植物を育て上げていました。その娘は非常に儚げな美しさを携えており、青年は忽ち恋に落ちます。この科学者は「毒」の研究者であり、園に広がる植物は全て毒水で育て上げられていました。放つ香りは毒を帯び、飛び交う小さな生命を次々と奪っていきます。そして、この美しき娘もまた毒水によって育てられ、血肉に毒が巡り、それに耐性を持って生命を維持しています。彼女の吐く息は毒素を帯び、人間を含めた全ての生命を死に追いやります。これらを知る別の医学の権威は、解毒剤を調合して青年に渡し、この事実を告白して、青年が愛する娘を毒から解放させる提案をします。『ラパチーニの娘』では青年がこの告白を聞きながらも娘と会話をして直接的な告白を求めます。そして秘密を明かされると激昂し、娘を責め立て、追い詰め、罵倒します。悲しみに暮れた娘は一縷の望みを抱きながら解毒剤を飲み込むと、血肉すべてが毒となっていた娘は死に至ります。しかし『毒の園』においては、青年は娘との最後の会話で告白を受けると、青年の生命を守ろうと突き放す娘に対して、それを拒否し、「美しき死」を求めます。この醜い現実、父の傀儡とされた苦しい現実を、また青年の抱く叶わぬ夢である安らかな娘との生活が果たせない現実を、「美しき死」によって昇華させようとします。
もう一つの底本はアレクサンドル・プーシキンの『アンチャール(Анчар)』(1828)です。アンチャールという毒素を持った赤い木を、君主に命ぜられた奴隷は採取に向かいます。これを探し出して持ち帰るも、当然ながら毒に侵されてこの奴隷は死に至ります。この毒を用いて君主は近隣諸国を制圧します。この物語をソログープは毒の科学者一族の過去に据え、科学者の抱く毒への執着性と娘の傀儡性を強調し、現実社会の醜悪さを表現しました。
ソログープの込める芸術性における「現実と死」は、敵対的な関係ではなく、それらが含む内的アイデンティティとも言えるものであり、現実が持つネガティヴな面と、死が持つ昇華的な美しさとを対照的に描くことに特化しています。そして昇華させる媒介として存するものは「愛」であり、死にまでも陶酔を持った愛情を見せています。これを自覚的にソログープが表現している作品が戯曲『死の勝利』であり、本書にも収められています。
退廃性のなかに込めた極限にまで研ぎ澄ました「美しき死」は、現実社会のネガティヴを感じる者には誘発的な恐ろしい「死」を纏っています。彼の作品の与えた死の淵の誘因に美しさを見て生命を絶った人々も多くあったと言われています。これほどまでに強烈な美しさを見せる物語には、現代を生きる我々にも与えられる感動が多く含まれています。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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