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『病気の通訳』(停電の夜に) 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

闇につつまれたキッチンをほのかに照らす蝋燭の灯り。停電の夜ごと、秘密の話を打ち明けあった二人は、ふたたびよりそって生きることができるのか。──表題作ほか、O・ヘンリー賞受賞の「病気の通訳」等全九篇を収録。インド系女性作家による瞠目のデビュー短篇集。本年度ピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞受賞作!


インド東部に位置するコルカタ出身の両親を持つジュンパ・ラヒリ(1967-)は、英国ロンドンで生まれ、アメリカで育った移民二世の作家です。ベンガル人の両親は渡米後もインドの文化や価値観を維持した生活を送り、ラヒリへの教育もそれらに則したものを与えました。家庭ではインドの、外ではアメリカの、双方の文化を共に感じながら日々を送り成長します。大学に入る前から熱心に執筆して作品を生み出しましたが、作家としての活動はイギリス文学の学士号を修めるまで行わず、才能の開花のため研鑽に励みます。ボストン大学で英語、執筆、比較文学の修士号とルネサンス研究の博士号を取得して才能を裏付けると、徐々にニューヨーカーなどの雑誌に小説作品を発表していきます。そして、好評を博した九つの短篇を処女作として1999年に発表した『病気の通訳』(邦題:停電の夜に)がピューリッツァー賞やオー・ヘンリー賞を受賞して世に受け入れられました。


彼女の描く作品には二文化間に揺れ動く感情が通底しています。闘争でも反発でもなく、確固として存在する隔たりの隙間に読者(作者)を孤立させる傍観者のような感覚を与えます。理解しながらも融合はしない、受け入れながらも染まることを拒否する、そのような感情は嫌悪ではなく相違として作中で提示されます。両親の故郷コルカタに滞在した経験や彼等の体験談から与えられた感情刺激は、ラヒリの意識に強く根付いています。1971年の第三次インド=パキスタン戦争(東パキスタンのバングラデシュ独立化を目的とした戦争)を、遠く離れたアメリカの地で残してきた家族を想いながら眺め祈り続ける男性の心情、見合いにより婚姻の契りを交わした妻を残して老女との細やかな習慣を共にする男性の心情など、文化と距離によって現れる人間同士の心の交わりは、ごく日常的に描かれて隔たりの隙間を感じさせています。


表題作『病気の通訳』はインドに訪れたアメリカ人家族とガイドを行う一人の男性の交流を描いています。父親は首から大きなレンズを携えた大仰な観光用カメラを提げ、「インドらしい観光物」をシャッターに収めるため、終始ガイドブックを読み続けて行動します。貧しい農夫が苦心して働く姿を、これぞとばかりに撮影します。農夫の実態的な苦悩を無視した被写体としての視線は、ファインダーから覗く行為同様、文化的隔たりを顕著に示していると言えます。また、母親は露出の多い衣服を纏ってサングラス越しにインドを眺め、ガイドの男性との会話もガラス越しや鏡越しなど、直接的に向き合わない接し方を続け、閉じこもるように二重に隔たりを作ってインドとの距離を置きます。しかし、観光案内中の会話を経るなかで、母親はガイド自身に興味を抱きます。そして、ガイドの男性もまた、サリーに身を纏う姿とは違う官能的な女性に惑乱され始めます。


母親は父親も知らない重大な秘密を打ち明け、ガイドの男性への好意を強めていきます。異文化のなかに身を置いた非現実性、或いは開放感によって明かされた事実は、受け取った男性が近未来的な欲情を高めていき、何かしらの繋がりを持てないかと思案します。しかしその後、母親が食べ続けていたライススナック(原文:puffed rice)が象徴するように、浅はかな思考と行動が如実にあらわれ、挙句、こどもの危険までも引き寄せてしまいます。このような行動から見えるように母親の浅はかな人間性を、パフライスの空洞だらけで中味が無いことと合わせて比喩的に描写されています。

景色を直視せず観光的名物として捉える父親と、家族以上に自分自身を最も愛する母親は、インドの持つ文化的価値観とは大きくかけ離れています。このような二文化間の隔たりは根源的な価値観の相違、もしくは構築された人間性の相違とも言え、たとえ官能であったとしても共感し合うことはないことを見せています。


ラヒリの作品には、二文化間の隔たりによる感情の揺らぎの他に、もう一つ中心的なテーマがあります。それは、インド人がアメリカ人と関係を持つ際の難解さです。強い決意を持って渡米した移民たちは、衣食住の全てが共通項を持たない文化圏で、宗教に限らず相容れない、許容できない事柄の多くに悩まされます。食材一つ、香辛料一つ、魚一匹を取り上げても入手経路からその手段まで、あらゆる当惑に生活を過ごすなかで突き当たります。そして恋愛については更に価値観の相違が顕著となり、伴侶として許容できる範囲を大きく超えた文化的相違が浮かび上がります。


ラヒリは「二つの世界の間に挟まれていると感じた」と過去を思い返しているように、実体験的に得た二文化間の隙間に佇む苦悩の経験を作品に織り交ぜています。この移民二世であるからこその傍観者的な観点は、多角的な視線を持つことを可能にし、それを表現する観察力と筆致がどの作品をも厚みのあるものに仕上げています。

蜂蜜入りのドロップや、ラズベリー風味のトリュフチョコ、細長い酸味の焼き菓子などが、絶えずこちらへ流れてきたのだが、それでもわたしは静かなままで、とりたてて応ずる態度を見せたわけではない。ありがとうさえ言いづらかった。うっかり言ったときには──ひらひらした紫色のセロファンにくるまれたとびきりのペパーミント味ロリポップをもらったから言ったのだが、かえって「ああ、またサンキューか」と逆襲されてしまった。「銀行でも、商店のレジでも、図書館に期限切れの本を返しても、サンキューと言われる。ダッカへ国際電話をかけようとして結局つながらなくたって交換手がサンキューだ。この国で死んだら、きっとサンキューと言われながら土に埋まるんだろうね」

『ピルザダさんが食事に来たころ』


インド中央政府は憲法でヒンドゥー語と英語を使用して、公用語に二十以上もの言語を認めています。本作ではどの境遇の人々も言語による隔たりを見せません。言語による意思の疎通が可能である環境のなかで、文化的差異による隔たりを主題に置いて紡がれています。彼女自身、ローマに移住した2015年にイタリア語で執筆したエッセイ『べつの言葉で』を、2018年には同様に長編小説『わたしのいるところ』を発表しました。言語が壁となり得るのではなく、文化的相違こそが隔たりへと結びつくことを、まさに行動で示していると言えます。


本書自体は九つの短篇で成り立っており、大変読みやすい作品ばかりです。重い主題でありながら躓かずに読み進めることができることは、彼女の筆致が自然な生活に溶け込んだ言葉が使われているからであり、読後に内容を反芻して文化的差異による苦悩が後から過ぎるような作風で描かれています。未読の方はぜひ、読んで体感してみてください。
では。


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