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『脂肪の塊』ギ・ド・モーパッサン 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

プロシア軍を避けてルーアンの町を出た馬車に、“脂肪の塊”と渾名(あだな)される可憐な娼婦がいた。空腹な金持たちは彼女の弁当を分けてもらうが、敵の士官が彼女に目をつけて一行の出発を阻むと、彼女を犠牲にする陰謀を巡らす――ブルジョア批判、女性の哀れへの共感、人間の好色さを描いて絶賛を浴びた「脂肪の塊」。同じく、純粋で陽気な娼婦たちと彼らを巡る人間を活写した「テリエ館」。
紹介文より

1868年、スペイン女王イザベラの悪政に見切りをつけた役人や軍人は、クーデターを決行して国政から追放し、フランスへ亡命させるに至ります。空位となったスペイン王座を利用しようと画策したプロイセン首相ビスマルクは、プロイセンのホーエンツォレルン家血縁のレオポルトを推し、スペインの承諾を得ます。レオポルトはカトリックであり、ポルトガル王家の血縁でもあったため説得性は強く、ビスマルクが政治利用するのにうってつけの人選でした。プロイセンとスペインが同盟以上の関係となることは、両国と隣り合わせの位置にあるフランスにとっては大きな脅威であり、当然の如くナポレオン三世はこの承諾に反対を示します。プロイセン王ヴィルヘルムへ大使を送って行われた会談では、王座継承撤回の決定が成されました。しかし、首相ビスマルクはこの会談内容の報告を大きく誇張して印象を操作し、恰もナポレオン三世が理不尽な要求をヴィルヘルム王へ提示したように見せかけた、世に言う「エムス電報」を両国の世論へ打電します。この挑発に憤慨したナポレオン三世は、国内で高まる反プロイセン感情を煽動してプロイセンへ宣戦布告し、1870年に普仏戦争を起こします。

四十万人もの常備兵で固められ、軍備が万端であったフランスは意気揚々と攻め込みます。しかしながら蓋を開けてみると北ドイツ、南ドイツを含めた百二十万人もの徴兵を集めたプロイセン軍が迎え撃ちました。(これにより独仏戦争とも言われます。)約十ヶ月を掛けた戦いは、プロイセン軍の数に物を言わせる形勢となり、ナポレオン三世はこれ以上の兵の被害を出さぬため白旗を掲げました。敗北したフランスは、五十億フランとロレーヌ地方の一部を譲渡することによって講和に至りました。フランス第二帝政が崩壊してプロイセン軍がパリに入城して勝ち誇ります。我が物顔で街を闊歩し、店内を制圧し、邸を我が物とする態度にフランスの大衆は激怒します。抗議の黒旗を街頭に垂らして、受けた屈辱を晴らすかのように新たな労働者政権パリ=コミューンを立ち上げます。団結した民衆の勢いは求心力を持ち、忽ち大きな影響力を持って国政へと介入します。この危険因子をプロイセン(ドイツ帝国)は見過ごす訳はなく、発足後の僅か二ヶ月で崩壊させ、保守的ないわゆるブルジョワ共和制(第三共和制)の時代が始まります。

ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)はノルマンディー地方のブルジョワ階級に生まれます。裕福ではありましたが父母の不和が原因で母と共に別荘で暮らして育ちます。パリ大学へと進みますが、間も無く普仏戦争が勃発して戦地へと赴きます。遊撃隊として実戦を経てナポレオン三世が降伏すると、彼の心には大きな屈辱と敵国への憎悪が生まれます。しかし祖国へと帰り、憎悪の根源は戦争そのものにあるという考えに至ると、戦いそのもの、そして起因となる国の事情、権力者の都合に対して怒りを燃やし始めます。

パリに出て海軍省に勤めだすと母の親友であったギュスターヴ・フローベールと出会い、イワン・ツルゲーネフやエミール・ゾラなどの作家と面識を持つようになります。文学へ傾倒し始めたモーパッサンは、自身でもフローベールの師事を受けながら執筆を始めていきます。彼が三十歳のとき、ゾラが中心となって、普仏戦争を題材とした共同執筆作品集「メダンの夕べ」を新進作家と共に発表します。ここに掲載された作品が本作『脂肪の塊』でした。自然主義に描かれた作品群の中でも、モーパッサンの作品は大いに評価され、フローベールからも「間違いなく後世に残る」と太鼓判を押されるほどの力作でした。

主題が明確でありながらも中篇小説という構成が困難なものに描かれた簡潔で隙のない筆致は、読後に強い印象と感情を与えます。フランスにおける上流貴族(商人、伯爵など)と下級民(娼婦、革命家)の対比が、普仏戦争によって振り回された自身の感情を踏まえて、鮮やかに濃淡を持って書かれています。戦後においてもなお、自らの商売や生活を守ることに固執した保守派の貴族たちは、都合の良い解釈や巧みな口車でその場を渡り歩きます。しかし大衆は愛国心から、国政を憂い、行く末を案じながら自らに出来うることは無いかと模索して口論までも行います。本来なら権力者たちが愛国心を持って大衆を改革へと導くべきはずが、腐食したブルジョワジーの思想や生活のため、保守的思考が固まって大衆のことなど眼中から無くなってしまいます。それに反して大衆が持つ愛国心は数を増して力を持ち、やがて革命思想へと変化して民衆が起こす改革が生まれます。

こうした改革は押し潰されることが常です。力を持った保守貴族が、我が身の可愛さから革命の芽を摘み取ります。この縮図とも言える登場人物たちが偶然に乗り合わせた馬車で出会い、向かった宿で共に過ごすこの物語は、大衆が貴族に面と向かって伝えられない鬱憤や悲嘆が存分に込められています。
娼婦エリザベットは強い愛国心を持った情熱的な女性として描かれています。上流階級にも怖気付くことなく、自分の意見を述べて対等に接します。腹積もりの無い施しも快活に、奥ゆかしく、丁寧に振る舞います。貴族たちは助けられたことに感謝し、お礼と共に褒めそやします。しかしもう一人の下級民である革命家コルニュデと口論を交わす場面も見られ、感情を激しく表す性格も備えていることがわかります。
このようなやり取りの感謝や敬意も、宿に着いて状況が変わると完全に掻き消され、貴族の勝手な感情や考えが浮き彫りになります。貴族たちは策を弄して彼女を陥れ、彼らだけに都合の良い結果を齎します。愛国心を弄ばれ、正義的感情で行動に移したエリザベットは紛れもない犠牲者でした。そこへ追い撃つように、貴族たちは彼女を蔑み、穢らわしいものを見るかのように接して、「自業自得よ」と薄ら笑います。ここには大衆を賎民として芯から蔑視していることが描かれており、愛国心や崇高さは全く感じられません。

毅然と在ろうとしながらも涙が流れてしまうエリザベットに革命家コルニュデは革命歌「ラ・マルセイエーズ」を歌ってエールを送ります。これはフランス革命の時に歌われたもので、腐敗したブルジョワに向かって愛国心を叫びつけるものであり、貴族たちはその当て付けに嫌悪します。

祖国を思う清きこころ、
導けよ、支えよ、吾らが膺懲の腕を。
自由よ、いとしの自由よ、
倶に征け、汝が戦士らと。

保守的な上流貴族と愛国心を持つ下級民との対比は、「性」と「食」を巡って繰り広げられます。この二つの欲は貴族たちが重きを置いていた、或いは優先的に発散していた欲であり、貴族の腐敗具合を顕著に表すものと言えます。そして、これらに溺れていた上流階級に支えられていたフランスという国の敗北は当然であると糾弾し、芽を摘まれた小さな革命家たちへの哀歌として「ラ・マルセイエーズ」が響きます。貴族たちが酒を飲みながら楽しむカード「捨て札」のように扱われた娼婦エリザベットに、読者は強く共感して憤ることになるでしょう。

中篇小説でありながら見事な構成で、風刺や皮肉の切れ味は素晴らしいものがあります。非常に読みやすく、強く惹き込まれる作品ですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


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