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『青い花』ノヴァーリス 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

ある夜、青年ハインリヒの夢にあらわれた青い花。その花弁の中に愛らしい少女の顔をかいま見た時から、彼はやみがたい憧れにとらえられて旅に出る。それは彼が詩人としての自己にめざめてゆく内面の旅でもあった。無限なるものへの憧憬を〝青い花〟に託して描いたドイツ。ロマン派の詩人ノヴァーリスの小説。


ルネサンスに端を発するドイツの啓蒙主義は、民衆を理想的な思想へ高める一方、個の感情を抑圧する働きを持っていました。この「理性に対する感情の優越」を啓蒙主義のアンチテーゼとして作品に込めようと、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは『若きウェルテルの悩み』、フリードリヒ・フォン・シラーは『群盗』などを執筆し、生み出されていきます。彼らが原動力となって新たに生まれたこの思潮は、反啓蒙主義の文学革新を起こす運動「シュトゥルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)となって激しく隆盛していきます。押し付けられる理想を払い、自己感情の尊重や個性の解放を強く促しました。運動名に由来している作品『シュトゥルム・ウント・ドラング』で著者フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが描いた天才性は、個の尊重の極みとして、啓蒙主義の対極として顕現しました。才能は創造性に長け、古典的な文芸の伝統を破壊し、感情の解放は作品を自由に発展させていきます。このような感情の解放は、創造性を多方面に発展させて大きな潮流へと展開していきました。なかでも、自己感情を尊重したことで愛を重視した思潮、個を重んじることで民族としての意識が昂揚した思潮、また理想的な思想に対する反発から中世へ憧憬する思潮などが強い流れとなっていきました。これらを総じてロマン主義とし、更なる芸術の潮流となりました。絵画、彫刻、音楽、文学など、多くの芸術家がこの流れに委ねて作品を生み出していきます。そして、ロマン主義のドイツ詩における代表的な作家が、本作『青い花』を発表したノヴァーリス(1772-1801)です。


『青い花』には自由な表現が存分に現れています。現実と幻想の境界はなく、読むものを独自の世界へと誘います。信仰と愛を神性で描いたダンテ・アリギエーリ『神曲』、神学を人間主眼で覗いたジョバンニ・ボッカッチョ『デカメロン』(人曲)、これらに倣うならノヴァーリスの『青い花』は「詩曲」と言える作品です。天上界、地上界、地下界、それらを繋ぐ中間世界の五層からなる世界は、神的現象と現実が綯い交ぜに描かれ、境界の無い美しい景色を構築しています。そこで起こる事象や変化は全て詩的に昇華され、幻想を帯びた芸術性が物語を繋いでいます。

原題に用いられた『Heinrich Von Ofterdingen』という人物は、十三世紀の伝説に登場するミンネゼンガー(詩人騎士)です。舞台である『ワルトブルク歌合戦』(Sängerkrieg auf der Wartburg)は、対抗する君主を互いに詩で讃え競い合うというもので、この争いに登場する六人のミンネゼンガーの一人がハインリヒ・フォン・オフターディンゲンです。五人はテューリンゲン地方領主ヘルマンを大いに讃えましたが、オフターディンゲンだけがオーストリア公爵レオポルドをそれ以上であると褒め称えました。多勢により敗北を与えられたオフターディンゲンは生命を差し出すように指示されますが、彼は交渉により一年の猶予を得ます。そして当時の職匠歌人クリングゾールに詩の判定をしてもらうように取り継ぎます。

本作におけるハインリヒ・フォン・オフターディンゲンは、この通りの人物ではなく、多分にノヴァーリスによって創造された人物であり、性格も同質とは言い難いものです。ですが、詩人としての偉大さ、自由さ、聡明さ、そして何より詩の独創性といったアイデンティティを備えさせようと、この人物をモデルにおいたのではないかと考えられます。


まだ若く、近隣の街程度しか訪れたことのない年頃の青年ハインリヒは、晴れぬ気持ちのまま日々を暮らしていました。あるとき、両親は彼のそのような気持ちを転換させようと、母方の祖父シュヴァーニングが住むアウスブルグへ訪れることを計画します。遠い道のりと見聞の狭さから、彼は不安を抱えながらも、好奇心を駆り立てられて出立することになりました。旅に同行する商人たちは、気遣いもあり、紳士な態度で、そして屈強な保護者として道中を進みます。先々で出会う教えを説く者たちは、皆がハインリヒを想い、心から幸せを願い、余すことなく知識を、経験を、思想を優しく語ります。ハインリヒもまた、素直で受動的な態度で彼らの教えを受け入れていきます。これは為されるがまま、という訳ではなく、自身から積極的に吸収しようとする受動的な態度であり、彼の好奇心や知識欲が徐々に高まっていくことが現れています。

十字軍遠征で凱歌を揚げた貴族騎士、その捕虜となった被害者である東洋の女性ツーリマ、数多の鉱山を渡り歩いてその鉱脈のなかに世界を見る老坑夫、俗世を離れて洞窟に住まう隠者となった学者ホーエンツォルレン伯など、見識を語る彼らから経験や価値観、あるいは正義や神性を伝達され、ハインリヒの精神はより高みへと成長します。また、ホーエンツォルレン伯の住まう洞穴の蔵書のなかに、自身が描かれていることをハインリヒは発見します。自身を導くように傍らに佇む賢者、そして愛を認める女性、これらの予言的な描写に彼は幻想的な予言を見出します。この書物はホーエンツォルレン伯がエルサレムから持ち帰った友人の形見であり、そこに神と予言が織り込まれています。過去、現在、未来が描かれ、そして遠い未来は識別できなくなっています。

アウグスブルクへの道中はハインリヒにとって意義のある冒険であり、人生の価値観に影響を与える発見を数多く経験します。そして辿る道は彼の運命を気付かせ、予言的に詩の世界を理解させていきます。この道のりは彼自身の内なる精神を辿る旅とも言え、詩界において必要な感性の成長、自然と摂理の理解、そして事象と存在の関係性などを、詩人の核となる感受性として植え付けていきます。


アウグスブルクへの旅立ちの前に、ハインリヒは夢に現れた「青い花」の魅力に取り憑かれます。愛、平和、幸福といった感情が湧き上がる幻想のなかのこの象徴は、追い求める確かな偶像として心に留められます。祖父シュヴァーニングと親交の深い詩人クリングゾールに出会うと、彼は直感的にホーエンツォルレン伯の蔵書にあった自身を導く賢者と重ね合わせます。運命による啓示として捉え、全面的な信頼を寄せていきます。そしてクリングゾールの娘マティルデをシュヴァーニングに紹介されると、あの夢でみた愛の象徴「青い花」と結びつきます。互いに惹かれ合い、心からの愛を瞬く間に育んでいきました。予言的に示唆された出会いは彼らを幸福で包みます。そして、クリングゾールによって語られる寓話的な叙事詩によって、詩界における芸術性を深く理解していきます。天上界、地上界、地下界を飛翔するエロスとファーベルによって紡がれる物語は、幻想的な現象と暗喩に満ちており、詩性の奇跡とも言える美しさを帯びています。そして繰り返される奇跡は「世界」を「詩界」へと変貌させ、全ての現象や存在を美しく昇華していきます。


ハインリヒが手にした詩性は、これからの運命を幸福で満たしたかに思われました。しかし、第二部への移行によって舞台は突如変わり、愛するマティルデを失った巡礼の旅から場面が始まります。進んでいくと廃墟に包まれた荘園に辿り着き、一人の老人と出会います。美しい草花に囲まれて語られる対話は、詩の芸術性、あるいは芸術家としての詩人の姿勢を深く理解させます。そしてそのなかに「青い花」と重なるマティルデの面影を見て、再びハインリヒは幸福な感情を呼び起こされ、生死を超えた存在としての愛を改めて手にしました。

宗教が道徳に対しているように、霊感も詩学に対していて、聖書に神の啓示の物語が保存されているように、詩学では、より高い世界の生活が、奇跡から生まれたとしか思えぬ文芸の中に、さまざまに描かれています。詩と歴史は、くねりにくねった道をたがいにしっかりと手をとりあい、とびきり奇妙な扮装をして歩んでいます。してみると聖書と詩学とは同一の軌道を運行する星座ということになります


ここで物語は終わります。『青い花』は未完であり、これより先のハインリヒは語られません。ノヴァーリスの遺稿より、その後の構想を憶測することはできますが、明確な意志は汲み取ることができません。未だに研究が続けられています。


「青い花」の具現化とも言えるマティルデは、ノヴァーリスの早逝した婚約者が元であると言われています。闘病の末に亡くなった彼女の墓前で、悲嘆に暮れたノヴァーリスは幻想的な精神飛翔を経験します。このとき、彼の内の詩性が目覚め、世界を「詩界」として捉えることを身に付けました。ハインリヒが手にした「生死を超えた存在としての愛」を、ノヴァーリスもまた見出したのかもしれません。生と死、時間と調和、人間と自然、これらの融合は無限性を伴って愛の存在へと変貌します。劇中の夢や叙事詩、昔話や物語は感性と想像性を刺激しながら、最終的に語られる同一の主題「詩性」へと常に収束します。このように「詩の持つ芸術性」または「詩の美しさ」を多角的に表現することで、ノヴァーリス自身はこの小説をもって、詩を「神格化」させようとしました。


本作は、旅という形式や、賢人たちの教えを乞うといったビルドゥングス・ロマン(教養小説)の描き方が踏襲されているように見えますが、第二部の変転からも理解できるように、ハインリヒは自己の本能と意志で運命を切り拓こうとする姿勢が確認できます。彼の経験した旅は、彼自身の内面を辿る旅でもあり、眠り続けていた詩才を呼び起こす道程として位置付けられています。内面より湧き起こる自我、その自我を外の世界へ表現する境界の無い描写は、幻想的な詩の芸術性となって超現実が描かれます。言い換えれば、夢と現実を用いて詩性を表現し、ビルドゥングス・ロマンの厳粛な態度に対するアンチテーゼを作品に込めたとも言えます。古典主義に反して世界の暗い面を厳密に描くことを避け、理想的で誇張された世界をノヴァーリスが詩性をもって美しく描いたこの作品は、まさに「詩の神格化」を目指したものであると言えます。


未完であり、ノヴァーリスの構想を全て受け取ることはできませんが、彼の抱いた詩に対する芸術性への真摯な態度は、文面の隅々から常に感じることができます。短い生命の殆どの熱量を詩に注いだ彼の代表作『青い花』。未読の方は、ぜひ読んでみてください。
では。


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