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『みずうみ』テオドール・シュトルム 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

月光に浮かび上がる少女エリーザベトの肖像。老学究ラインハルトはいま少年の日の昔にいる。あの頃は2人だけでいるとよく話がとぎれた。それが自分には苦しくて、何とかしてそうならないように努めた。──若き日のはかない恋とその後日を物語る「みずうみ」ほか、抒情詩人シュトルムの若々しく澄んだ心象を盛った短篇を集めた。


フランスのブルボン朝を打倒したブルジョワ革命により権力を得たナポレオン一世は、勢力をさらに増して周辺諸国へ領土を広げようとする戦争を次々と起こしていきます。しかし、帝国列強諸国はこれを突き返し、絶対王政の体制を復活させようと推し進めます。戦争を終息させ、フランス革命以前の帝国列強諸国が主導となる保守的な反動体制を構築するため、1814年よりウィーンで国際会議が開かれます。ここで示された議定書に則り、ロシア、プロイセン、イギリス、オーストリア、フランスの五国同盟が結束して各国での絶対王政を敷き直します。特に牽引したのがプロイセン外相(のちの宰相)であるクレメンス・フォン・メッテルニヒで、国内での自由主義や国民主義(ナショナリズム)を強く抑圧しました。当然ながら国民はこれに対して反対運動を起こします。ナポレオン戦争に参加したイエナ大学の学生を中心としてドイツ学生同盟「ブルシェンシャフト」による運動が盛んになっていきます。1817年にヴァルトブルク城にて行われた宗教改革300年祭とライプツィヒでの戦勝祝いを兼ねた祝祭で、彼らは反動的書物(絶対王政的な法規や王政賛美の書物)を盛大に焚書しました。これによりメッテルニヒの弾圧が激しくなります。大学への監督官派遣や、書物の検閲を徹底し、学生運動を厳しく禁止しました。この時、ブルシェンシャフトが掲げた赤、黒、金の旗は、現在の統一ドイツで用いられていることから、この運動がナショナリズムによるドイツ国統一の一歩であったと言えます。ナショナリズムの動きはイタリア、スペイン、ロシアでも広がり、ヨーロッパを包み込む大きな運動となっていきます。そして、1830年にフランスで七月革命が起こると、ポーランド、ドイツでも反乱が起こり、1848年のフランス二月革命が波及し、ベルリンでの三月革命が起こります。市民による自由の獲得を目指す力が勝り、ついにメッテルニヒは失脚させられました。


この「諸国民の春」と呼ばれるナショナリズムの訪れは、結果的に秋頃には弾圧されてしまいます。この挫折は強い衝撃を民衆へ与えましたが、国家へ与えたナショナリズムの潮流は緩やかに隆盛し、やがて検閲を緩和させ、芸術表現の幅を大きく広げていきました。本作『みずうみ』(Immensee)は、契機となったウィーン三月革命の翌年に発表されました。抑圧され続けた民衆の感情は、その緩和によって精神の感応を敏感にさせて、美や生について思い返す心のゆとりを得ます。作者である抒情詩人テオドール・シュトルム(1817-1888)は、本作を自ら「これは純粋な愛の物語である。愛の香りと雰囲気とに作の隅々までも滲透されている」と語り、人生において持ち得るべき重要な感応を示しています。


彼が生まれたドイツ最北部に位置するフーズムは、当時はデンマークの支配下であるシュレスヴィヒ領にありました。この港町の弁護士である父親に倣い、彼もまた弁護士として法曹界へと進んでいきます。一方で、彼は大学在学中より詩篇を生み出し、友人と共に詩集を発表します。弁護士としての実務の傍ら、十数編の小説や詩を発表しました。本作『みずうみ』もこの時期に書かれたものです。1848年にベルリン三月革命によってドイツ連邦は解体されました。それによってデンマーク領であったシュレスヴィヒ・ホルシュタイン領ではドイツ系住民たちが独立を望み始めて、領土を広げたいプロイセン国王の支援を受けて蜂起します。この運動にシュトルムは参加します。イギリスやロシアの介入によって、一旦は争いが休止しますが、1863年に即位したデンマーク国王クリスチャン九世は、改めて公にシュレスヴィヒ領の併合を表明します。民衆は再び反対熱を高め、ホルシュタイン領と共に臨時政府を樹立します。そしてプロイセンはオーストリアと共にデンマークへと攻め込みデンマーク戦争が勃発しました。これを率いたのがプロイセン首相オットー・フォン・ビスマルクです。プロイセンはデンマークの降伏を受け入れ、ウィーン会議にてシュレスヴィヒ・ホルシュタイン領を放棄させることになりました。独立運動に参加したシュトルムは、職務の停止や南ドイツへの亡命などの影響を受けて、働く環境が度々変わりましたが、その謹厳さや誠実さは曲げることなく、法曹界に身を置き続けました。そして、その最中にも生み続けた作品群には美しい郷土的な情景描写と、強い愛国心が根付いています。


シュトルムの作品には、後期ドイツロマン主義にありながら、後に訪れるリアリズムの萌芽を感じさせます。一人称の視点で語られる社会には、その心理の感応が強く溢れています。この情緒的描写を回想や物語として作中で語る「枠物語」(Rahmenerzahlung)の形式は彼の一貫した作風であり、抱いた感情や眺めた情景を「過去」として捉えようとする意思が見られます。この手法により読者は、より郷愁的、哀惜的、賛美的に感じさせられます。しかしながら、その描く社会の現実性は端的なロマン主義に収まらず、現実の問題を踏襲したものとなっています。


『みずうみ』はシュトルムの初期作品でありながら、彼の代表的な作品です。疲弊感を帯びた老人の帰宅から始まる物語は、古い肖像画を月明かりが照らして回想の世界へと入っていきます。老人の少年時代から時代が徐々に進み、幼馴染の少女との運命を追い掛けます。ラインハルトは快活な精神を持ちながら、詩篇を書き留める抒情的な感性を持った少年でした。五つ下の少女エリーザベトを友人として、保護者として、面倒を見ながら時間を共に過ごします。ラインハルトが大学生になるとき、都会に出て勉学に励むため、エリーザベトの傍を離れなければならなくなりました。再び出会ったとき、二年間待っていて欲しい旨を間接的な感情表現と共に告白すると、エリーザベトがそれに応えて約束を取り付けます。しかし、その期限の直前に、ラインハルトの友人である資産家の息子エーリヒの求婚にエリーザベトが応えたという知らせが届きます。数年後にラインハルトは、エーリヒの招きに応えるため、インメン湖の辺りに建つ邸へと向かいました。そこには彼の来訪を知らされていなかったエリーザベトとの再会が待っていました。


全体を彩る郷愁的な自然溢れる描写は、シュトルムが幼年期に過ごしたフーズムの景色が色濃く影響しています。幼いラインハルトとエリーザベトの森を冒険する際の、緊張と不安と興奮が入り混じった表現描写も、とても美しく彩られています。都会での友人や酒、女性などの誘惑も、その場の空気が伝わるほどの熱量を帯びていて、読む者を魅惑的に包んでしまいます。これらはシュトルム自身の経験を元としているからこその現実性があり、そこから滲む郷愁は描写する彼自身の感情が込められているからであると言えます。この甘美的な抒情性は実に詩的であると言えますが、恋人を資産家が奪ってしまうという流れは、当時のブルジョワジーの資産による権力が高まっていることを諷刺的に描いており、リアリズム的な苦悩をさり気なく訴えています。


エリーザベトとの再会後に、白く輝く睡蓮を求めて服を脱いで水に入っていくラインハルトには、官能的な感情を思い起こさせます。そして睡蓮を手にしようと近付くと、ラインハルトは藻や蔦に手足を取られ、生命さえも失いそうになります。無理やり引き千切って陸へ逃れ、再び睡蓮を見ると真っ白く輝いてそこに佇んでいます。この象徴的な描写は、エリーザベトとの結ばれぬ運命を描くだけでなく、ラインハルトの人生の予言を見せているようにも思えます。死が迫りくる老人となったラインハルトが回想に耽ったあと、思い浮かぶものは水に浮かぶ白い睡蓮です。この空想から現実へ戻るとき、家政婦に話す台詞が胸を締め付けるほど切なく聞こえます。

よい時に来てくれた、ブリギッテ。灯火は机の上に置いておくれ。


本作『みずうみ』の描写は、心の澄んだ抒情性で溢れています。シュトルムの賛美するもの、美化した過去、若さの熱量を帯びた美、これらが角度を変えて作中を詩的に仕立てています。老いても鮮烈な美しさが心に浮かぶ切なさは、すれ違った恋人だけではなく、人生において犠牲を払った様々なものへの哀惜があり、それでもリアリズム抒情詩人として突き進んだ自身へ向けた郷愁的アイロニーも込められているからであると受け取ることができます。彼が普遍的に込めたものは、ひとりの人間の孤独と運命への抗いが、感情の中で何度も行き来をする苦悩であると感じられます。だからこそ、郷愁的な美へと思いを馳せ、叶わぬ願いを切なく受け止めさせられているのだと思います。


中篇でありながらも感情が何度も浮き沈みし、郷愁的な苦悩を思い起こさせる作品です。美しい描写と詩的な感応を、ぜひ読んで体感してみてください。
では。


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