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『少女ムーシェット』ジョルジュ・ベルナノス 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

死んでゆく少女への哀歌。スペイン戦争の暴力と悲惨を目撃した巨匠ベルナノスがその憤りを芸術として結晶させた珠玉の傑作。
紹介文より

普仏戦争に敗北したフランス第三共和政は資本輸出を中心に金策を図り、急速に国を回復させていきます。しかし、圧政は歪みはじめ、ドレフュス事件という大きな冤罪事件を起こします。ユダヤ人陸軍参謀本部大尉であるアルフレッド・ドレフュスが「筆跡が似ている」というだけで状況証拠すら固まらない中、終身刑に処されます。疑問を覚える数多くの人間が声を上げ、ついに冤罪濃厚となった中、第三共和制は「国家の安危に関わる軍事機密情報」であるとして、口を閉ざします。
これに怒りを覚えた作家のエミール・ゾラは『私は告発する』という公開状を突き付け、大統領を糾弾しました。そして遂には、無罪を勝ち取ることができました。ですが、この事件で社会におけるユダヤ人迫害が顕著になったことは明白でした。

このような共和政に反旗を翻し、王政復権を求める組織が誕生します。「アクション・フランセーズ」と言い、文筆家シャルル・モーラスを中心とした組織で、ジョルジュ・ベルナノスも参加していました。この活動は過激なもので幾度も逮捕され刑務所に収監されます。その獄中にて筆をとり、書評や弁論を始めるようになりました。1914年に開戦した第一次世界大戦争には志願兵として戦い、帰国後に小説を書き続けました。

1936年のスペイン市民戦争(スペイン内戦)でフランス右翼として参加していたベルナノスは、戦地で衝撃的な光景を目にします。カトリック協会の怠惰で欺瞞的な行動。具体的には彼ら聖職者が、現地の人々を言葉が理解できないまま内乱の犠牲とし、処刑していくという行動に憤慨します。そして寡黙な犠牲者たちに高潔さを見出し、神とは、正義とは、と疑問が溢れます。
また、このことを処刑裁判における裁判官たちとジャンヌ・ダルクに重ね合わせ、当時と今の社会を糾弾しました。

本書『少女ムーシェット』は、貧困と虚無、嫌悪と無関心で溢れる生活を内乱の犠牲者に重ね合わせ、そこに救いを求める姿を描いています。
病気の母、乱暴な父、周囲にも嫌悪され、貧困に苦しむ少女は、具体的な「生の幸せ」を知らぬまま暮らしています。そして物語は、この孤独な少女を更なる絶望へ導きます。

希望の光をすべて無くし、生において闇しか見ることができなくなった彼女は最後に自殺を試みます。この描写が物語を通して最も聖性に満ち、柔らかい光さえも感じることができるほど、清らかな気分にさせられます。これが彼女を救う作者としての唯一の方法であるかのように感じさせられます。
カトリックにおいて、自殺は許されません。しかし、カトリック作家であるベルナノスがこの描写で救う、もしくはこの描写でしか救うことができないということは、それほどの残酷な状況下に置かれていたと伝わります。そして、スペイン内戦の犠牲者、或いはジャンヌ・ダルクとも重なり、死こそが神の救いであったとの訴えと解釈できます。

死のもつ同じ力、地獄の出口、金持や権力者に、悪魔的な誘惑の限りない手段を惜しみなく与えるこの力も、悲惨さの聖なるしるしをうけた、貧しい人々には、不意にしか襲いかかれない。死の力は、日毎に、恐るべき注意力と、おそらくは、ひそかな恐怖をもって、貧しい人々をうかがうだけでよしとしなければならぬ。しかしこれらの単純な魂のうちに絶望の裂け目がわずかでも開けば、彼らの無知にとって、おそらく自殺以外の手段はない、貧しい人々の自殺、子供の自殺にそっくりだ。

神の仮面を被った暴虐ではなく、真の神の手によって救われる死があるべきだと訴えているように感じます。

少し入手が困難かもしれませんが、湿度たっぷりのフランス文学は大変魅力に溢れています。機会があればぜひ読んでみてください。
では。


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