『お目出たき人』武者小路実篤 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
武者小路実篤(1885-1976)は公卿を家系に持つ子爵の父のもとに生まれました。母は八人の子を産み、その末っ子でしたが、はじめの五人は早逝します。これは、父が西洋を渡り歩いたことで持ち込んでしまった病気が原因でした。父やその母(実篤の祖母)はこれを認めようとはしませんでしたが、五人の死を見てようやく治療します。その後に三人の子が生まれ、成長することができました。姉の伊嘉子、兄の公共、そして実篤です。家には二人の祖母(父の実母、父の父の弟の本妻)と同居していましたが、母にとって幸せな生活とは言えませんでした。五人の子が生まれたそばから続けて亡くなったことで、二人の祖母は原因が母にあると糾弾して非難を延々と続けて苦しめます。母が二人に妊娠を告げると「また石塔がふるえるのか」という残酷な皮肉を度々言われ、心を傷つけ続けます。母は家出だけでなく、死までも覚悟して何度も試みようとしましたが、遂には辛抱を続けて三人の子たちを育てました。
母方の叔父は、公卿であり華族である勘解由小路家で、奔放な道楽者でした。叔父は事業に失敗して破産すると、心機一転して半農生活となります。そこに持ち込んだ蔵書にはレフ・トルストイの翻訳本が多く揃っており、実篤はこれを取り憑かれたように読み続け、思想を徐々に構築していきます。
学習院中等科で志賀直哉と出会い、友好による長い付き合いが始まりました。多感な時期で多くの誘惑に囲まれながら、実篤はトルストイに受けた禁欲主義の影響に悩まされ始めます。その板挟み精神を解消したのがベルギーの象徴主義詩人モーリス・メーテルリンクでした。性慾に対する寛大さ、自己肯定の大切さを学び、トルストイの偉大な思想に「その人はその人の運命を自力で開いてゆくこと」という考えを添えて、自身を大切に生きようと考えるようになります。こうした人間性のあるがままの肯定は、実篤とってはあるがままの自己肯定にほかなりませんでした。
東京帝国大学へと進級しますが、志賀直哉や木下利玄たちとともに同人会「十四日会」を発足して創作活動に明け暮れます。実篤は文学の道で生きようと決意すると、大学をやめて自費出版で自身の作品集『荒野』を発表しました。そして1910年、志賀直哉、木下利玄、有島武郎らとともに文芸美術誌「白樺」を創刊します。トルストイの影響を受け、理想を掲げた人道的主義をもって「人間の肯定」を表現しました。実篤は雑誌を創刊した理由として次のように述べています。
欲求をも含めた自己を存分に肯定することによって、個人を表現することが世の普遍的な個性に照らされ、個が普遍に影響を及ぼすことを示しました。
こうした新たな思想の確立には非難はつきものです。評論家の生田長江は、武者小路実篤を筆頭とした白樺派に対して、歯に絹着せぬ痛烈な言葉で批判しました。長江は「二つの『時代』を対照して」という論文で、白樺派をトルストイや夏目漱石などの名を心易げに語って利用して満足している「オメデタキ人々」である、と揶揄う調子で述べました。さらに、自然主義文学が衰退を見せ始めた当時に、白樺派は「自然主義前派」と変わらない、と追い打ちしています。これにすぐさま反応した実篤は、以下のように返しています。
つまり、『お目出たき人』は自然主義をアイロニックに描いたものであり、表の文面しか読むことができていない長江を批判し返したのでした。事実、前述のようにトルストイからメーテルリンクを通じ、夏目漱石の自然主義に影響を受けた実篤は、思想の逆行を見せず、今まで表現されていなかったことに不満を持って新たな思想を築きました。欲求を含めた自己を「自然」と捉え、その意思を尊重して「本質的な自己」を活かすという、実篤の根本思想から見ても、長江の痛罵は的から外れていると言わざるを得ません。
本作『お目出たき人』は1911年に刊行されました。「白樺」創刊と合わせて実篤の文芸性は思想とともに広まり、世の読者に受け入れられます。当時の文学思潮は自然主義が強く、西洋で起こった文芸運動が日本の作家に影響を与えたものでした。エミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサン、アルフォンス・ドーデーなどが挙げられます。内なる自己を吐露するように描かれた作品群の多くは、鬱屈した精神の煩悶や憂鬱に苛まれる心理描写が多く、読む者へ暗い印象を与える作品が多くありました。これに対して、実篤はトルストイの著作に込められる「理想を求める」感情を織り交ぜて作品を描くことに試みます。
女に餓えていると自覚している語り手は、近所に住む鶴という女性を慕っています。男女がともに惹かれ合うことは「自然なこと」として認識しているが故、自分が想っているからには鶴も想わずにはいられない、という考えを抱いています。五年間想い続けていながら、挨拶さえ碌にできていない関係でありながら、空想的な将来を思い描いては幸せな気分に浸ります。そして空想のなかで、碌に知らない鶴を「自分の理想的な女性」へと仕立て上げていきます。この恋を成就させるため、家族の力を借り、仲介人を手配して手紙という遠隔的な手法で鶴へアプローチします。相手からは結婚自体の意思が未だ持てないという断り文句が続きますが、文面を鵜呑みにして操を守る良い娘であると受け止め、納得してその度に幸せな感情を抱きます。ある日、仲介人の情報から鶴が他の男性からもアプローチを受けていると聞かされ、いたく衝撃を受けますが、「ともに想い合うことが自然」と信じて疑わない自分は、日記に苦悩を綴りながらも耐え抜こうと決意します。そのような心情にあるとき、一年振りに鶴と偶然出会います。言葉を交わすことはありませんでしたが、この偶然は「自然に結ばれる兆候」であると受け止め、鶴と結ばれることを強く確信しました。しかし、物語は違う方向へと突き進んでいきます。
実篤は自然主義に付き纏っていた「死」の観念を、希望や理想で覆し、真摯な姿勢でありながら自己を発散させることに成功します。このような率直性をもって描いた著作は、当時に蔓延していた自然主義の陰鬱さを強く突き放したと言えます。これを助けたのは思考と願いです。実篤は自己を肯定し、その自己が浮かばれるように望み、心を前向きに保とうと自己を励ますという、自然主義とは掛け離れた思考を構築しました。
叶うことと願うことが一致しない世にあって、自己を肯定し続けるには、自己が自己を理解して支えることが必要であると教えてくれます。それが成ったとき、自己の苦悩は浮かばれ、望まない結末であっても「死」などへ思考が向かうことなく、自己を守り続けることができると感じさせられました。『友情』と並び、現代でも広く読まれ続けている本作『お目出たき人』。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。