『ブラック・コメディ』ピーター・シェーファー 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
イギリスの劇作家、ピーター・シェーファーの傑作戯曲『ブラック・コメディ』です。劇団四季でも「ストレートプレイ」で上演され、好評を博しました。
ピーター・シェーファー(1926-2016)は、映画化されアカデミー賞を受賞した『アマデウス』、同様にニューヨーク劇作批評家賞を受賞した『エクウス』が有名です。
上記二作は共にテーマを含め「シリアス寄り」です。『アマデウス』は、モーツァルトの才能を認めながらも嫉妬して毒殺し、自白する事により、自身も後世に名を残そうとする作曲家サリエーリの話。『エクウス』は馬に狂うほど魅了された少年と、対話により鑑定しようとする精神科医の話。どちらもウィットに富んではいますが、重々しさが中心となる作品です。どちらも「人物の複雑な心理と行動」がテーマとして描かれ、普遍性を持って訴えかけます。
しかし、この『ブラック・コメディ』は終始笑いっぱなしの喜劇です。スラップスティックに描かれていて、次々に訪れる「災難」は読み手を「笑顔」にしていきます。主人公である売れない芸術家ブリンズリーの、人生を賭けた今夜の命運を祈った直後に停電(不運)が訪れるシナリオは、読み手の「喜劇的不安」を煽り、これからの展開に対する期待を膨らませます。
ブリンズリーは大富豪に自分の作品を売りつけるチャンスを得ます。家に招く際、婚約者キャロルに唆され、見栄を張る為に隣人の高級調度品を無断で拝借します。それはキャロルの父親も同時に招く必要があった為なのでした。しかしタイミング悪く隣人ハロルドが帰宅して、さらに元情婦クレアが縒りを戻そうとやってきます。
この悪い想像しか出来ないシナリオが停電の中で行われます。それはもう惨事です。そして、これがシェーファーの天才的な演出法で描かれます。照明の逆転。停電の時は「照明」、電気が点灯する時は「暗闇」、マッチやライターで照らす時は「薄暗く」。この暗闇の中で連鎖的に起こるハプニングが読み手を笑いの渦に引き込みます。同時に、「暗闇だからこその人間らしい醜い言動」が浮き彫りになり、生々しさが鮮明に描かれます。人生を舞台として置き換えた場合、誰もが演じる「喜怒哀楽」を凝縮して描いている作品とも言えます。
訳者の倉橋健さんはこのように評しています。
『エクウス』から『ブラック・コメディ』までの振り幅が大きく、とても同じ作家から執筆されたとは考えにくいほどの才能です。彼の作品にある要素は、物語構成のプロットが非常に緻密に計算されている点です。読み手(或いは観客)はどのように感じるか、受け取るかを考え抜き、場の展開が論理的に構築されています。
とにかく終始、笑顔にさせられる秀逸な喜劇です。戯曲が苦手な方でも必ず楽しむことが出来ますので、ぜひ読んでみてください。
では。
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