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『水いらず』ジャン=ポール・サルトル 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

性の問題をはなはだ不気味な粘液的なものとして描いて、実存主義文学の出発点に位する表題作、スペイン内乱を舞台に実存哲学のいわゆる限界状況を捉えた『壁』、実存を真正面から眺めようとしない人々の悲喜劇をテーマにした『部屋』、犯罪による人間的条件の拒否を扱った『エロストラート』、無限の可能性を秘めて生れた人間の宿命を描いた『一指導者の幼年時代』を収録。
紹介文より

ジャン=ポール・サルトル『水いらず』です。短篇・中篇集です。サルトルはフランスの思想家です。実存主義の第一人者。彼は講演で「実存は本質の先に立つ」と主張しています。

万年筆を作る職人は、製造方法や使用目的などを理解していなければ、万年筆を作ることができない。この方法や目的の理解が「本質」であり、本質を理解したうえで実物「実存」を作り上げる。この点から見ると「本質が実存の先に立って」いるわけです。

しかし人間の場合は「実存」が先である、と唱えています。人間はまず世界に生まれ「実存」、人間はあとになってその人間になる「本質」。したがって人間は自分自身で各人間の本性を作り上げることになる。この考えから「主体性」が生まれ、「自由」と「選択」という自分で自分を作り上げる要素があらわれてきます。

この書はサルトルの初期小説として世に出されており、収録作それぞれ「実験的要素」で溢れています。特に最後の『一指導者の幼年時代』は長編小説の下書きのような、文芸表現をかなり抑えて淡白に時系列で事柄を綴っている印象です。
サルトルの書く小説には「絶対的な観察者」は出てきません。登場人物それぞれの心境・心情が逐次描かれ特定者に感情移入するというより、物語に描かれる小さな社会を通じて「実存主義の思想」を伝えてきます。

肉体および「性」の描写が大変多いのですが、実存主義=エロティシズムでは決してありません。「性」が心にもたらす影響で精神が不安定になり、「自由」と「選択」が訪れます。この判断を各個人の「本質」でもって受ける、あるいは創造することを描いています。

けっして煽情の文学でなく、むしろ肉体厭悪の書であるといってよい。

『水いらず』の訳者である伊吹武彦さんはこう論じています。肉体の不能者、狂人、エディプスコンプレックス、男色家、「精神に影響する性」といってもさまざまな種類や強弱があり、これらを受ける精神にも性以外の影響(思春期・社会情勢・経済状況・思想など)が元々あり、ない交ぜになって混乱した心で「選択」をする、この難しさや苦しさを各篇で訴えています。

人間は自由の刑に処されている

人間は自分の意思で自分を世界に作り上げたわけではなく、しかも目の前はあらゆる選択の自由を持っている。この世界に足を踏み入れた以上、すべての行動や判断は自分で責任を負わねばならない。
サルトルは全能の神を否定し、生まれ持った宿命など無いとして考えます。そして自分がどのように生きるも、何を選択するも、すべて自由で、だからこそ自分自身を創造する必要があるとしています。

「水いらず」という言葉は「仲良し」という意味です。実存主義として、あるいはリアリズムとして、表題作を読み返すと深い印象を覚えることができます。
すべての収録作品、それぞれに湿度をもった文学として大変読み応えがありました。未読の方はぜひ。
では。


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