『月と六ペンス/ノア・ノア』サマセット・モーム/ポール・ゴーギャン 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの2作品です。
晩年をタヒチで過ごし、死後に才能を称えられた総合主義・象徴主義を代表する画家ポール・ゴーギャン。その紀行文『ノア・ノア』と、彼の資質や魂を原型に、芸術を真に追い求める奇異な一人の画家を描いた『月と六ペンス』です。本記事において「ゴーガン」表記は「ゴーギャン」で統一します。
ポール・ゴーギャン
ポスト印象主義の画家としてファン・ゴッホと比べられることが多いポール・ゴーギャン(1848-1903)。彼は自ら天蓋へ身を投げ、文明を逆走し続けた芸術家で、プリミティヴィスム(未開芸術/原始芸術)を初めて提唱し、確立しました。彼が描きあげた作品の根底には「ロマン主義的な地上の楽園」が描かれており、西欧の殖民地支配を真っ向から否定する表現となっています。
工業化社会により西洋文明は物質的な利益追求に向かい、人間としての本質的な感情が社会から消滅している。この消えゆく感情を追い求め、芸術として表現することこそ使命であると思い至ります。フランスのパリで株式のブローカーとして成功していながら、仕事・家族・財産、全てを捨て去り歩み始めます。西部フランスのブルターニュの片田舎へ向かい「先端文明に侵されていない」であろう社会を求めました。そこで彼は信仰に基づいた作品、信仰を題材とした作品を完成させていきます。
しかしながら「文明の原初を描く作品」に至ることはなく、思い悩みます。そして彼は「文明に侵されていない土地」を求めて南太平洋へ向かい、タヒチへとたどり着きます。原住民に少しずつ近づき、やがて親交を深め、共に住み、「原初の文明の中」で暮らし始めます。そこで感じた鮮やかさ、力強さ、そして野生的な思考、神秘的な信仰に触れ、彼が生み出す象徴性を発揮し多くの作品を生み出すとともに、新たな芸術の枠を築き上げたのでした。
ノア・ノア
この作品はポール・ゴーギャン自身がタヒチに滞在した紀行文であり、島で触れることができた社会、もしくは文明を、彼の印象から描き出しています。
彼が過ごす現地での生活は生々しく描かれ、現地人の価値観や生活習慣まで見て取ることができます。その中で随所に現れるのが現地で信仰されている「寓話」です。この寓話は現地人にとっては「神話」であり、世界の創造に紐づいています。先日、バルガス=リョサ『密林の語り部』感想記事でも書きましたが、原初的な文明の中で語り継がれている「寓話」は住民たちにとって絶対的な信仰であり、世界のすべてです。
この「寓話」の中で「ヒナ」という女神が登場します。これは「月」のことであり、生命の輪廻を司る象徴として崇められています。月は永遠に生命(物質)を飲み込み、また生み出す。生み出した生命は他の物質と融合し、また飲み込む。この繰り返しで人間は進化していく。「死のみが生命の神秘を保っている」という文明の進化論は原初的な思考であり、人間の本質に重きを置いた信仰であると受け取ることができます。
月と六ペンス
イギリスの小説家、劇作家であるサマセット・モーム(1874-1965)は諜報員として国に貢献していましたが、身体を壊します。その静養中に描かれたのが、この『月と六ペンス』です。自伝的作品『人間の絆』や、『世界十大小説』が大変有名です。
画家ストリックランドは、元ブローカーな点や、家族を捨てた点など、「設定」はゴーギャンに近しいものはありますが、性格は大きく違っています。不人情で非常識、シニカルで悪辣、身勝手で傲慢。かなりの脚色で非道い性格に仕立てられています。
モームが描いた本作の本質は何か。ゴーギャンの持ちえていた「芸術家としての資質、性質、核、熱情」といったものを、暴力的なまでの筆致で描き、鮮烈に読者へ突きつけている点です。彼の「魂が求めていた真理」の追求力を、何もかも犠牲にして、もとい何もかもより必要なものとして、追求させて描ききっています。
本書終盤でひとつの挿話が入ります。エイブラハムという主席医学生が将来の約束された道を突如放棄し、訪れたことのない辺境の地の医者になるという話。語り手「わたし」の元同級生で、その辺境の地にて運命的な偶然で出会った際の会話が心に残ります。
ヒナ(月)による進化する輪廻転生で刻まれた魂の使命は、新たな命に約束された経済力(六ペンス)を放棄させ、使命を全うするように導く神の力が見えます。そしてポール・ゴーギャンに与えられた使命は、絵画によってプリミティヴィスムをこそ確立し、世に残し啓示することであったのではないかと考えられます。
『月と六ペンス』は現在多くの版が出回っていますので、差別的な表現も新訳であればかなり和らげられ、読みやすくなっているのではないかと思います。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。