『シルトの岸辺』ジュリアン・グラック 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
第二次世界大戦争加熱時の1940年、ドイツの猛侵攻により降伏したフランスは、中部に位置するヴィシーに独親政権の基盤を作り、国家元首としてフィリップ・ペタン(第一次世界大戦争時の英雄)を据え、フランス第三共和政を否定した統治権集中のファシズム体制を敷きました。実質的にはドイツに支配されており、休戦協定と言いながらも軍事協力を強制され、ナチズムに沿った反ユダヤ主義を掲げていました。
ドイツはフランス軍二百万人を捕虜とし、ドイツのキャンプで管理します。ただし、強制労働は通常の農作業で締め付けはかなり緩いものでした。彼らの食糧を始めとする管理費を莫大な金額で請求し、フランスから巻き上げていました。
ヴィシー・フランス発足直後は政権を支持していた国民が多勢でしたが、ドイツ劣勢の戦局情報が広まると忽ち批判的な潮流へと変化しました。
1944年に連合軍がネプチューン作戦でノルマンディーに上陸し、パリを筆頭にドイツ軍を撤退させてフランスは解放されました。そして支配者を無くしたヴィシー・フランスは解体されます。フィリップ・ペタンは責任と罪を問われ、死刑判決(のちに高齢により終身刑に減刑)を受け、政府は終焉を迎えました。
ジュリアン・グラック(1910-2007)は、フランス北西部の地主の元で生まれ、裕福な家庭で過ごしながら、教鞭を振るうため資格取得を目指します。学生時代に触れたリヒャルト・ワーグナーのオペラや、アンドレ・ブルトンによるシュルレアリスム運動はグラックの作品に晩年まで影響を与え続けます。
グラックは第二次世界大戦争に徴兵されフランス北部のベルギー国境付近で行軍します。そして戦局に従い、前述のドイツ軍捕虜となりますが、結核と疑われる病症を理由に捕虜を解放されます。帰国後、療養に努めながらも教職に就く準備を進め、やがて高校教師となり、長くこの職を全うします。本作『シルトの岸辺』も教職の合間に書かれた作品です。
彼は「反ヴィシー」主義であり、彼の論文や散文にその思想が見え隠れします。特に起因となった性格は「徹底的な個人主義」であり、国政に対する批判や国家を束ねる者への糾弾と、個人の自由意志の尊重が目立っています。ドイツに迎合し、やがて破滅へ至ったヴィシー・フランスに対する否定は、間接的比喩で作品に描写されます。
その筆致に大きな影響を与えているのが「シュルレアリスム運動」です。『シルトの岸辺』をアンドレ・ブルトンに捧げている事からも垣間見得ます。シュルレアリスム運動自体には参加していませんが幾人かとの親交があり、ブルトンからも処女作『アルゴールの城にて』を「暗黒小説の伝統とシュルレアリスムとの確固たる結合を示した」と絶賛されます。
「シュルレアリスム」(超現実主義)は1924年のブルトンによる『シュルレアリスム宣言』から始まるものであり、ダダイスムから派生した主義です。新しい芸術の在り方を提唱し、多くの芸術家が模索して構築しました。「超現実」は「突き詰めた現実」或いは「突き抜けた現実」とも言え、無意識による想像を求めた作品が、幅広い芸術において数多く生み出されました。
グラックは『シルトの岸辺』において、「主観を遮った写実描写」でシュルレアリスムを踏襲しています。作中の大部分を占める情景描写は、緻密な筆致で物事を複数の角度で描き、読者へ明確な景色の想像を促します。そして作品内でのアクセントとして効果を及ぼしているのが「対話」です。美しい情景描写の大きくて緩やかな物語の流れが、対話が始まることにより激しく停止します。そして方向を定めるようにその場で回転し、対話を終えると同時に緩やかに流れ始めます。また夥しいほどの比喩で表現された描写に、直截的な対話が鮮やかな印象を残します。
作品のアクセントである対話は、リヒャルト・ワーグナーがオペラ作品に含めた「予感動機」(示導動機)を意識して書かれています。現代では「ライトモティーフ」として括られますが、オペラや交響詩などで人物などの言動や心情変化を、短い動機を繰り返すことでアクセントにしながらも音楽の統一性を崩さない効果の事を言います。大きくて緩やかな物語を多くの比喩で奏でながら、予感動機である対話で物語のテーマを紡いでいきます。
『シルトの岸辺』の舞台は架空のオルセンナ国で、海に面した国境警備の要塞に青年貴族が配属され、停滞している海を挟んだ三百年続く戦争相手ファルゲスタンに抱く湧き上がる熱意と踊らされる宿命、そして生き物のように浮かび出す国家の予感が描かれています。
ヒロインであるヴァネッサは野心と誇りと情熱に溢れた熱情家ですが、主人公であるアルドーの熱意を焚きつけ、事を成す前後で描写が強く変化します。明から暗への変化と言えます。外観的な特徴や言動が快活で幼さの残る無垢な印象であったのに対し、事件後は、落ち着き払って暗鬱な印象に変わっています。これが与える印象は、生と死、繁栄と滅亡、安寧と抗争、など種々の要素を連想させます。そして事件をヴァネッサは期待していたのであり、叶ったのです。この滅亡を望む姿勢は、(オルセンナ国の)宿命に沿わせる使命感であるという確信と覚悟であり、それを成した達成感と虚無感をヴァネッサという女性が一連の描写で表現されています。
この大変美しい作品は、1951年にゴンクール賞受賞作に選ばれました。しかし、グラックはこれを拒否し、賞金も拒絶します。理由は明確で、そして堅固な意思で貫きました。
訳者の安藤元雄さんは訳者あとがきでこのように述べています。
この架空の国の、架空の出来事は、事細かに写実的に描写されているにも関わらず、時代的描写があまりに曖昧です。しかし、だからこそ時代背景に囚われる事なくテーマである「宿命と予感」をより鮮やかに感じ取ることができます。反時代的シュルレアリスムとも言える作風は、国が「時間」を理由としない変化、概して「人間」「世間」が及ぼす国へ与える効果の「予感」をとても強く表現しています。そして普遍的に捉えられる国家は、「治めるものは人」という危険性を浮き彫りにさせます。
流麗で美しい文体は、情景を様々な角度で浮き上がらせて、次々と連想させる描写はただ感嘆させられるばかりです。そしてオルセンナ国に沸き立つ宿命と予感は、ヴィシー・フランスと重なり、破滅へ導いたのはやはり「人」であると痛感させられます。
美しさで包まれた「宿命と予感」の物語。未読の方はぜひ味わってみてください。
では。
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