『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
デンマークの作家、カレン・ブリクセンの『バベットの晩餐会』です。イサク・ディーネセンという名前は英語版ペンネームです。女流作家カレン・ブリクセン(1885-1962)はデンマーク語と英語、両方で出版しています。英語で出版する時のペンネームがイサク・ディーネセンです。英語で書き上げた作品を自身でデンマーク語に訳す特異な作家です。しかし単純に、忠実に訳すわけではなく、内容に相違がある作品が多数あり、この『バベットの晩餐会』は大きく内容が異なる作品です。
異なる内容としては、第九章「レーヴェンイェルム将軍」からラストにかけて多くの記述が追加されています。そして本書の訳者である枡田啓介さんは「デンマーク語版」で訳しています。
カレン・ブリクセンは映画化された『アフリカの日々』でも有名です。これは伝記のようなエッセイですが、彼女が体験した元夫とのコーヒー農園で過ごした経験が含まれた作品です。この後、第二次世界大戦争を終え、世界が落ち着き始めた頃『バベットの晩餐会』は世に発表されました。舞台はノルウェーの北の北、田舎の質素で信仰を重んじる小さな村での話です。
併録の『エーレンガード』にも言えることですが、とにかく多くの「神話の表現」が登場します。
枡田啓介さんの「あとがき」の一文です。
また、音楽、美術の表現が見事で「芸術を神々しさで紡いだような筆致」がノルウェーの雪景色に灯る光のイメージに溶け込んで、贅沢とも言える芸術性を感じさせてくれます。
1870年、プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争、「普仏戦争」が起こりました。スペインが九月革命にて王位継承予定者がいなくなり、そこへプロイセンのビスマルクが取り入り継承予定者となりました。これを脅威と見てフランスのナポレオン三世が反対したことが発端となり戦争に至りました。結果、フランスは大敗し当時の帝政は崩壊しました。
敗北したフランスは50億フランと土地を渡し、講和。勝利の入城としてプロイセン軍はフランスに入ります。この講和とプロイセンの「パリ入城」に対する抗議を皮切りに、フランスの誇りを黒旗として掲げ労働者政権「パリ=コミューン」を結成しました。このコミューンはプロイセン軍だけでなく、自国の臨時政府軍にも包囲弾圧され、多くの命が失われました。
美しくも年をとった二人姉妹に仕える女中バベットは、コミューン支持派でした。晩餐会には臨時政府軍の将軍も参加します。神の申し子のような二人姉妹、信仰心の深い監督牧師を取り巻いていた老信者たちと一緒に。大金でもてなした芸術的な晩餐は将軍のスピーチを招きます。
バベットは晩餐会を終え、二人姉妹との会話でこう話します。
バベットが将軍に与えた感動は、「料理芸術家」としてのバベットが与えた感動であり、その感動を自らの手で引き起こすことがバベットにとっての復讐であったのだと考えられます。つまり、将軍の重んじていた芸術性や信仰のたどり着く先が「バベットの作る晩餐」であり、「バベットの芸術性」に跪いていたのだと、そう読み取ることが出来るのではないでしょうか。
背景が重く、神話の神々しさで覆いながらも、驚くほど読みやすく流麗な文体は、まさに芸術です。大変美しい作品ですので、ぜひ読んでみてください。
では。
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