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『花のノートルダム』ジャン・ジュネ 感想

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

「ジュネという爆弾。その本はここにある」(コクトー)。「泥棒」として社会の底辺を彷徨していたジュネは、獄中で書いたこの一作で「作家」に変身した。神話的な殺人者・花のノートルダムをはじめ汚辱に塗れた「ごろつき」たちの生と死を燦然たる文体によって奇蹟に変えた希代の名作が全く新しい訳文によって甦る。
紹介文より

多くの犯罪に手を染めたジャン・ジュネ(1910-1986)の最初の小説『花のノートルダム』です。

彼が母親の元を離れたのは生後7ヶ月。親に捨てられ田舎夫婦の養子として育てられます。その養母が亡くなり、別の里親へ引き取られます。どちらの夫婦の元でも窃盗や猥褻を中心とした犯罪を繰り返し、挙句、児童擁護救済院(感化院)へ送られます。その後パリの盲目の作曲家「ルネ・ド・ビュクスイユ」に預けられますが、ここでも盗みを働き精神科治療を受けます。ここから感化院と刑務所の脱走と送還を繰り返し、これらから逃れる為、軍に入ります。兵役の後、パリに訪れたジュネは「アンドレ・ジッド」に出会います。その後、再度軍に入りますが脱走。偽造パスポートを用い、東ヨーロッパを転々とするあいだに、逮捕を繰り返します。パリに戻っても犯罪は止まらず、そして脱走兵である事が露見し、実に13回の有罪判決と禁固刑、懲役刑を受けます。本書『花のノートルダム』はこの受刑獄中に書かれました。

ジュネは本作を執筆した年(1942年)、詩作品の『死刑囚』という作品も同時に書き上げ、自費出版していました。この詩作品を「芸術のデパート」こと「ジャン・コクトー」が絶賛します。そして、『花のノートルダム』も読み、文才を認め、本作を世に出す足掛かりとなったのです。

例えば、片手で、二つの品物(札入れ)を同時につかむことができるし、あたかもそこにはひとつしかないようにそれらを持って、長々と吟味し、袖のなかにひとつを滑り込ませ、最後に気に入らない振りをしてもうひとつを元の場所に戻せばいい。

彼の経験を元にした「自伝的童話」です。男娼・ひも・強盗殺人者からなる男性三人の三角関係が主な内容です。ジュネ自身「同性愛者」であり、「男娼」を経験しています。犯罪を含めた数々の描写は、語り手(ジュネ)の独白の体を為していながら、全てが空想のフィクションであると表現されています。童話として描かれたこの作品には「無責任な白状」が散りばめられています。

『花のノートルダム』の大きな特徴は、「聖」と「性」が入り混じる、読み手の価値観を眩ませる、危うい説得力です。ピカレスク文学としての性質を帯びながら、読み手の「聖」を刺激し、あたかも品性の欠けた丸裸の感情こそが高尚なものであると語りかけてきます。
「性」を「聖」に昇華させる文体は、二つの要素が考えられます。「生い立ちによる歪んだ価値観」と「強烈な性への執着」です。この執着が顕著に表れているのが「性欲を空想する描写」或いは「欲望を具体的に述べる描写」です。これは自慰行為に等しく、欲望を露わにし、これを正当化する為に「性」を「聖」に昇華し自身の満足へ直結する散文となっているのです。

骨の見える痩せ細った文体をつくり上げようと努力しているとはいえ、私は花や、雪のようなペチコートや、青いリボンの詰まった本を私の監獄の奥からあなたたちに送りたいと思っている。これよりいい暇つぶしは他にはない。

これがトイレットペーパーへの執筆中に抱いていた丸裸のジュネの感情です。

モーツァルトを好み、デュ・バリー夫人を憐れみ、ウージェニー・ビュッフェに耳を傾け、エミリエンヌ・ダランソンを仰いだ、ジャン・ジュネの性癖が詰まった『花のノートルダム』。未読の方にはぜひ、読んでいただきたいです。
では。


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