『カフカ寓話集』フランツ・カフカ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
フランツ・カフカ『カフカ寓話集』です。30の短篇・中篇集です。前回に引き続きカフカです。その記事でも触れましたが、彼は執筆と仕事の両立を果たしていました。健康を損なうほど。執筆自体は生前は泣かず飛ばず、といった程度。しかし仕事においては大変優秀で、さらに上司部下にも好意的に思われ、そして細やかな気遣いをまで見せていたようです。これは彼のデリケートな気質が影響します。この気質は母親譲りのものでした。父との確執がありましたが、喧々諤々ではなく、間に母親が入り父の思惑を彼に諭していました。この神経質さと、ある意味不健全な父との関係が、彼の作品に影響したように思えます。
寝る間を惜しんで執筆に励んでいたカフカですが、彼の作品には常に「不条理」が付きまといます。周囲からの迫害、自己の内に湧き上がる不道徳、突然迫る恐怖、理由のない迫害、など。こういったものを「書く動機」になりうる感情の元は何か。仕事は上手くいっていたようですので、そこで生まれる程度のストレスが寝る間を惜しんで執筆するほどの感情には至らないはずです。当時の時代や土地を考えますと、やはり「ユダヤ人の子孫である」ことに起因するように思えてなりません。
当時のチェコスロヴァキアは、元々住んでいたチェコ人、侵略したドイツ人、そして故郷をなくしたユダヤ人で構成されていたと、カフカの伝記作者であるパーベル・アイスナーは表現しています。ユダヤ人は双方から疎まれていました。チェコ人からは「よそ者」として、ドイツ人からは「成り上がり者」として。民族としての迫害は年齢性別を問いません。カフカの幼い頃の友人は迫害により失明までしています。
このような「民族としての迫害」を幼少より肌で感じながら、その土地で生きていくことには多くの「自意識への抑圧」をかけなければなりません。この抑圧によるストレスが社会人になり多感になり、それらを晴らす手段が執筆であったのです。
では、何の為に「執筆」をしたか。もちろん鬱憤晴らしの側面もあったと思います。それよりも、世に伝えたいという思い、他者に理解されたいという思いが多分にあったはずです。しかし、ノンフィクションのような表現方法では迫害を助長させるばかりか、家族にまで迷惑を掛ける恐れがあるため、「文学」という芸術表現で執筆を続けたのだと考えられます。
神経質であった彼は日々刻々、「不条理」を感じていたはずです。その感じた不条理をいかに抽象的表現、間接的表現で表し、且つ、物語として成り立たせるか。このような執筆手法であったからこそ、短篇、中篇、長篇、入り混じった作品が出来上がり、その全てが「不条理文学」として形を成したのであると思います。
この数々生み出した作品群を、彼は死の間際に友人へ「すべて焼却」するように依頼しました。これは謙虚さ、羞恥、或いは後悔からと受け取ることもできますが、別の見方をすべきだと考えます。依頼した友人は詩人マックス・ブロートで、当時すでに文名が知れ渡っており出版業界に顔が利く存在でした。カフカはブロートが「自分の死後に出版することを確信」していたと思われます。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスが自身の『バベルの図書館』にカフカの『変身』を盛り込む一冊の序文にこう記しています。
この寓話集は30のうち28が人間以外を主に描いています。「寓話」と名付けられたのはこのあたりが理由であると思います。その為、強制的に表現は比喩的には感じますが、物語中の社会や主人公の描写は「より現実的」で、「より直接的」に描かれています。30の作品それぞれに存在する「不条理」から得られる教訓は「寓話でありながらさほど無く」、社会への「民族としての迫害」を感じさせる訴えが随所に現れ、また苦悩として細やかに描かれています。
『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』の中の一文です。この作品は特に上記の要素が顕著です。二十日鼠族の置かれた状況が、まるでユダヤ人に当てはめているかのように。
『異邦人』や『ペスト』を世に出したアルベール・カミュが「不条理文学作家」としてのカフカを以下のように述べています。
この寓話集には『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』以外にも、『巣穴』『ある学会報告』という中篇や、有名な『断食芸人』も収録されており読み応えも充分な一冊です。カフカの「不条理文学」を多面的に感じることができますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
では。