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社会人1年目の疲れ方

最近の自分の見失い方は異常だ。

私は一体何を考え、何をしたいのか分からなくなっている。

社会人になってから、コロナの影響もあり、家と仕事の往復で日々が過ぎている。

休みの日はなにもできずにごろごろするか、生活のためにしないといけないことをすることが多い。

私の趣味であるライブ鑑賞をオンラインではあるが行っている。韓国ドラマだって毎日見ている。友達との外食は減ったが無い訳では無いし、連絡もとっている。

すごく充実しているかと言われれば違うが、それなりに生きている。ただ生きている。

私は心のどこかでInstagramで見るようなキラキラした生活がしたいと思ってしまうのだ。自分の好きなことを仕事にして、周りに友達が沢山いて、優しい彼氏がいて、週末は常に予定だらけな生活に憧れ続けているのだ。そして、可愛い顔に完璧なスタイル、余裕のある生活ができるだけのお金、理解のある両親、多様な価値観を認めてくれる環境も欲しいと願わずにいられない。

それとは真逆の生活を送っていて、それは自分の行動によるものだと分かっているのに羨ましいと言う心を止められないし、妬みが止まらないのだ。

そんな風に考えたくないし、Instagramのキラキラした生活が全てでは無いと分かってる。分かっていてもそう考えてしまう。

私自身が何か始めてみれば変われるのではないか、昔からやりたかったことを1つずつ進めていけば周りの音はきっと入ってこなくなるのだ。そう言い聞かせては何も起こせず時が経っている。そうして、だめなことを全て田舎とストレスを多い仕事のせいにして蓋をしてぐつぐつさせて生きている。

田舎に生きる人間らしく素朴な服装を好み、質素な生活をし、休日には釣りに出かければいいのだろうか。

正直全部嫌だ。私が似合うのははっきりした色合いの服だし、量が少なくて高い美味しいものが食べたいし、休みの日には映画館や美術館に行ったり、大きい本屋さんに行きたいのだ。

コロナさえ落ち着けば、ライブに沢山行きたいし、海外旅行もしたいし、県外の友達とお洒落して歩きたいのだ。

仕事だって絶対に間違えてはいけないというストレスやなんでも知っていて当たり前だという目線から開放されたいのだ。

全部から解放されて、大金持ちになって海外移住して誰も知らないところにいきたいと妄想しては現実の私が冷静に無理だと言っている。

結局私は質素で地味でどこにでもいる人だし、人並みから外れないように必死なのだ。

常に張り詰めている。

これが私であると認めたくない私と認めて流されようという私と全部やめたい私がごちゃ混ぜだった。

もうどうにでもなれと思う間に朝が来て、貼り付けた笑顔で挨拶するのだ。普通でありたいから。


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